主イエスはマタイ7章13節で、狭い門つまり命(ヨハネ14章6節)へ通じる神の義の門(詩編118編19節、イザヤ26章2節)から神の国に入るようにと勧められた。門を通過できるか否かの唯一無二の基準になるのは《愛の掟》キリストの律法(マタイ7章12節)であると、直前で主は断言された。
(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神の義』『門』『礼服』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
マタイ1章21節で主の天使は、「マリアが産む子は自分の民を罪から救う」とヨセフに伝えた。成長された主イエスは「まず神の国と神の義を求めなさい」と教えられた。ローマ6章17節以下は「あなたたちは罪の奴隷だったが、伝えられた御教えの規範に従って罪から解放され義の奴隷になった」と記す。
一ヨハネ3章7節は「〔神の〕義を行う人は、御子(=主イエス・キリスト)が義であるように、義人です」と記し、マタイ6章33節「まず神の国と神の義を追い求めなさい」を想起させると共にルカ13章27節「お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、わたしから離れ去れ」にも注意を促す。
(注)別エントリー「聖ヨセフ:ディカイオスを旧約聖書で考察」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:最後の審判とディカイオスを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『ディカイオス』聖ヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
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