主イエスはマルコ1章34節で多くの悪霊を追い出されたが、悪霊にものを言うことをお許しにはならなかった。「神の御言葉」である御自分をさしおいて、好奇心に駆られた人々がむしろ悪霊の語る事柄の方に耳を傾ける行為は、創世記3章で蛇にだまされたエバ同様、間違いの元にしかならないからである。
(注)別エントリー「試論:『言(ことば)』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7250
(注)別エントリー「試論:『人間を照らす光』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7227
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5844
【追記】
創世記2章22節はエバの創造を記す際、祭壇や都市を築き上げた時と同じヘブライ語を用いて、エバは細心の注意を払いつつ達成された主なる神の《苦心の作》でありエバの創造に「手抜かり」はないと示唆し、「女は男より劣るように創造されたからエバは蛇にだまされた」等の男尊女卑の発想を否定する。
(注)別エントリー「試論:創世記2章23節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14290