衣を裂く仕草は、悲しみ・心の痛み・苦痛などを表明するものではあるが、アッシリアに侵攻され滅亡を覚悟したヒゼキヤ王が、イザヤ37章では衣を裂くと直ちに粗布をまとって神殿に向かい、主の救いを乞うた。ただし福音書では大祭司が主イエスの仰せを聞いて冒涜者呼ばわりする際、衣を裂いてみせた。
【追記】
ヨエル2章13節に「あなたたちは衣でなく心を引き裂け」という有名な主の仰せが記されるが、12節に「心からわたしに立ち帰れ」とある通り、「心から」つまり日本語の「腹を割る」の意味合いで「上辺だけでなく心の底から」が求められている。「主が悔いられる」とは、主の御計画の変更を意味する。
プロテスタントの文語訳聖書『改訳 新約聖書』(1917年)では、ヨハネ14章6節で「真理(まこと)」と平仮名を振る。詩編145編18節「主は、まことをもって呼び求める人々すべての近くにおられる」に対応するためだが、詩編のこの節の「まこと」とは、《真心(まごころ)》を意味している。
(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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