古代ギリシア語訳列王記下5章14節は預言者エリシャの言葉に従いヨルダン川に七度身を浸したシリア(=アラム)人ナアマンの行為を、「洗礼」と訳されるバプテスマの動詞形バプティツォで表現する。10節でエリシャは七度身を洗うように指示したが、それを受けてナアマンは14節で七度身を浸した。
(注)別エントリー「バプテスマは身を沈める・身をひたすことなのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/408
【追記】
ルカ4章22節は故郷の人々の「皆がイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いた」と記す。ガリラヤの各地で名声を高めていたイエスに対し「故郷に凱旋」と誇らしく思っていた会堂の人々は、話の雲行きが怪しくなるとやがて裏切られたと感じ、イエスを町外れの崖っぷちから突き落とそうとした。
(注)別エントリー「試論:教会と『会堂』の違いを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15157