試論:「厳しい言葉の理由」を140文字以内で

主イエスはルカ11章とマタイ23章で、律法学者たちとファリサイ派の人々に厳しい言葉を発せられたが、その理由は「あなたたちは『もし昔の預言者たちの時代に生きていたなら、彼らを弾圧する側には回らなかった』と言いながら、なぜ預言者たちがまさに預言したこのわたしを敵視するのか」であった。

【追記】

主はヨハネ5章39節で、聖書とは御自分についてあかしするものであり、御自分を目的としない聖書研究には意味がない旨を仰せになった。これに関連し一ヨハネ4章も、主イエスに関する事柄についてなるべく触れようとしない自称信者を「偽預言者」「反キリストの霊」「人を惑わす霊」などと表現する。

(注)別エントリー「試論:『預言を封印するメシア』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8347

(注)別エントリー「試論:聖書を研究する意味とは?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19381

ヨハネ5章39節〜40節「あなたたちは〔旧約〕聖書の中に永遠の命があると考えて、〔旧約〕聖書を研究する。しかし、〔旧約〕聖書とは、わたし(=主イエス・キリスト御自身)についての証しをするものである。それなのにあなたたちは〔永遠の〕命を得るためにわたしのところに来ることをしない」。

(注)別エントリー「試論:旧約聖書の意義を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9840

(注)別エントリー「試論:旧約聖書を調べる意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6950

(注)別エントリー「試論:預言者も見たかったもの?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19262

主イエスは旧約聖書の預言に関して、第一義的に御自分及び御自分の到来前後の歴史的諸事件への言及であり(ルカ24章27節、同44節、ヨハネ5章39節)、エルサレム滅亡(紀元七〇年)で預言は全て成就すると仰せになった(ルカ21章22節)。旧約聖書は21世紀の国際情勢とは全く関係がない。

(注)別エントリー「予備的考察:いわゆる『エゼキエル戦争』【再投稿】」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15520

(注)別エントリー「ダニエル9章の『七十週』預言」【再投稿】も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18148