主の御降誕に助産婦が介在しなかった意味とは

(以下、聖書の日本語訳は、特に注記がない場合には、フランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』(サンパウロ)によります)

【1】古代の聖書世界でも、出産においては一般的に助産婦が介在していた

さて、古代においても、出産に際して、現代において「助産婦」──かつては広く「産婆」、現代の日本の国家資格の名称としては「助産師」──と呼ばれている仕事に携わる女性たちが介在したことが、既に、古くは創世記や出エジプト記1章でも、記されている。

◯創世記35章17節(フランシスコ会訳)
「ラケルがひどい陣痛で苦しんでいるとき、助産婦は彼女に言った、『心配してはいけません。今度も男の子です』。」

◯創世記38章27節〜30節(フランシスコ会訳)
「タマルの出産の時になってみると、胎内の子は双子であった。出産の時、一人の子が手を出したので、助産婦は、『これが先に出てきたのだ』と言って、真っ赤な糸を取ってその手に結びつけた。しかしその子が手を引っ込めると、もう一人のほうが出てきた。助産婦は言った、『何でお前は割り込むの』。そこで彼はペレツと名付づけられた。その後で手に真っ赤な糸をつけた子が出てきたので、彼はゼラと名づけられた。」

◯出エジプト記1章15節〜21節(フランシスコ会訳)
「エジプトの王はヘブライ人の助産婦に言った。一人はシフラ、もう一人はプアという名であった。王は言った、『お前たちがヘブライの女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子であれば殺し、女の子であれば生かしておけ』。しかし助産婦たちは神を畏(おそ)れ、エジプトの王が命じたようにはせず、生まれた男の子も生かしておいた。そこでエジプトの王は助産婦たちを呼んで問いただした、『お前たちはなぜこのようなことをしたのか。どうして生まれた男の子を生かしておいたのか』。助産婦たちはファラオに答えた、ヘブライの女たちはエジプトの女と違って体が丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまいます』。そこで神はその助産婦たちに恵みをお与えになった。イスラエルの民は増え、非常に強くなった。助産婦たちは神を畏れたので、神は彼女たちの家に繁栄をもたらされた。」

そして、古代のイスラエル人が、母親から生まれてきたばかりの赤ん坊にどのような処置を施していたのか、旧約聖書の意外な箇所に当時の事情を反映した記述を見出すことができる。

【2】古代のイスラエルで、出産の際に一般的に新生児が施されていた処置とは

◯エゼキエル書16章4節(フランシスコ会訳)
「誕生、つまりお前が生まれた日、へその緒を切り、水で洗い清めて塩をなすりつけ、産着にくるんでくれる者は誰(だれ)一人いなかった。」

つまり、古代のイスラエル人が出産に際して赤ん坊に施していた処置は、

・へその緒を切る
・水で洗い清める
・塩をなすりつける
・産着にくるむ

といったものであった。

日本聖書協会の新共同訳聖書で同じ箇所を調べると、「お前の生まれた日に、お前のへその緒を切ってくれる者も、水で洗い、油を塗ってくれる者も、塩でこすり、布でくるんでくれる者もいなかった。」などとなっており、

・へその緒を切る
・水で洗う
・油を塗る
・塩でこする
・布でくるむ

などの処置を、生まれてきた赤ん坊に施していたことになる。

バルバロ訳聖書(講談社)でも、「へその緒を切るものもなく、水で洗って清めもせず、塩でこすりもせず、布で包みもしなかった。」とあり、

・へその緒を切る
・水で洗い清める
・塩でこする
・布で包む

などについて、同様に記されている。

もちろん言うまでもなく、これまで登場した「水」というのは、実際には沐浴に適当な温かいお湯のことである。

現代においても、沐浴後の新生児の低体温が問題になることは時々起こるが、ともかくエゼキエル書16章4節は、古代のイスラエルで出産の際に一般的に新生児が施されていたと考えられる処置について、以上のように説明している。

【3】主イエス・キリストの御降誕には、助産婦が介在してはいなかった

しかしながら、主イエス・キリストの御降誕の事情については、次のように記されている。

◯ルカによる福音書2章4節〜7節(フランシスコ会訳)
「ダビデ家とその血筋に属していたヨセフも、すでに身籠(みごも)っていたいいなずけのマリアを伴って、登録のために、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。ところが、二人がそこにいる間に、出産の日が満ちて、マリアは男の初子(ういご)を産んだ。そして、その子を産着にくるみ、飼い葉桶(おけ)に寝かせた。宿屋には、彼らのための部屋がなかったからである。」

この記述を読む限り、その場に助産婦は存在せず、生みの母であるマリア自身が生まれた男の子を産着にくるみ──つまり、マリア自身が男の子を取り上げた、ということになる。

新共同訳でも、「初めての子を産み、布でくるんで飼い葉桶に寝かせた。」と書かれており、同様に、やはり母マリアが自身で男の子を取り上げた、と解釈できる。

バルバロ訳でも、「初子を生んだので、布で包んでまぐさおけに子を横たえた。」となっている。

ただし、「へその緒を切る」「水で洗い清める」「塩をなすりつける」など、本来ならば助産婦が行なったであろう処置については、全く記載がない。

出産の際、生まれた直後のわが子を母親が自分で産着にくるむというのは、通常ではありえない。
たいていは、まず助産婦がへその緒を切る処置を行い、赤ん坊の体を拭き清め、助産婦が赤ん坊を産着にくるみ、母親は助産婦から赤ん坊を見せられる、という流れが普通である。

通常の出産では、生まれたばかりの赤ん坊を産着にくるんで寝かせるのは、本来は助産婦の仕事であって、母親のすることではない。

可能性としては、マリアが助産婦の手を借りずに、「へその緒を切る」「水で洗い清める」「塩をなすりつける」などの処置を、全部自分一人で行なった、と仮定することもできなくはない。

しかし、主の御降誕は、宿屋ではなく飼い葉桶が置かれている洞穴でなされた、というのが聖書の記述そしてカトリック教会の聖伝であり、そんな場所には本来、へその緒を切るために都合の良い道具などが存在するわけもないし、赤ん坊を洗い清めるために都合の良い「水」(実際には適度に温かいお湯)や塩や油なども、存在していたとは到底、考えにくい状況だったであろう。

……以上の考察から、当然のように、一つの仮説が推論される。

すなわち、その受胎の際にも、通常の流儀ではなく超自然的な流儀──つまり聖霊が介在したように、主の御降誕の際にも、それは超自然的な流儀で行われ、それゆえに聖母は「へその緒を切る」必要もなく、まして「水で洗い清める」必要も「塩でこする」必要もなく、おのずと助産婦も必要ではなくなり、聖母は御自分で生まれた子を取り上げられ、出産に当たって聖母がなすべき処置は「産着にくるみ、飼い葉桶(おけ)に寝かせ」ただそれだけだった、ということである。

別の言い方をすると、

「主イエス・キリストは、へその緒を切る必要も水で洗い清める必要もない状態で、母マリアから超自然的な流儀でお生まれになった」

ということである。

もしも仮に、主イエス・キリストの御降誕の場に助産婦が介在していたとするならば、キリスト教の歴史上この助産婦は極めて重要な役割を果たしたことになり、そのエピソードの重要性たるや、羊飼いたちの訪問のエピソード(ルカ2章8節〜20節)や東方の博士たちの来訪のエピソード(マタイ2章1節〜13節)などよりも、明らかに優先して記録に残すべき人物であることは疑いようのない話である。

◯ルカによる福音書2章8節〜10節(フランシスコ会訳)
「さて、その地方では、羊飼いたちが野宿をして、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の使いが羊飼いたちのそばに立ち、主の栄光が彼らの周りを照らし出したので、彼らはひどく恐れた。み使いは言った、『恐れることはない。わたしは、民全体に及ぶ、大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。』」

ルカ2章8節以下の「羊飼いたちの訪問」のエピソードによれば、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちが、主の栄光に周りを照らし出され、み使いに天の大軍が加わって神を賛美する光景を目の当たりにし、主のみ使いに促されるままに、ベツレヘムへ急ぐことになる。

◯ルカによる福音書2章11節〜14節(フランシスコ会訳)
「今日(きょう)、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶(おけ)に寝ている乳飲み子を見出すであろう。これが徴(しるし)である。すると突然、み使いに天の大軍が加わり、神を賛美した。『いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人々に平和』。」

11節の「今日」とは、日没を一日の区切りとする当時の考え方を考慮するなら、現代人にとっては「今夜」と同じ意味である。

つまり、主の御降誕は夜間(日没後)のことであり、同じ晩のうちに羊飼いたちは「飼い葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあて」、この羊飼いたちこそが「最初の訪問者」たちであると考えられるが、しかし、羊飼いたちが目撃した人物たちの中には、助産婦は存在せず、「マリア」「ヨセフ」「飼い葉桶に寝ている乳飲み子」の三人だけが、そこにはいた。

◯ルカによる福音書2章15節〜16節(フランシスコ会訳)
「み使いたちが離れて天に去ると、羊飼いたちは語り合った、『さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださった、その出来事を見て来よう』。そして、彼らは急いで行き、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあてた。」

そして、助産婦はその場に存在しなかったにも関わらず、ルカ福音書の記述からは、その出産が「難産」であったというニュアンスは全く伝わって来ない。
むしろ、この前後の箇所からは、完全に超自然的な保護下にあるとしか考えられない「平和」そのもの、出産それ自体も当然「安産」であったに違いないという雰囲気しか、感じられない。

聖母マリアと主イエス・キリストを結んでいたへその緒を、実際に切って処置した助産婦がもしも存在していたとしたら、福音史家ルカあるいはマタイのどちらかが、キリスト教史上に唯一無二の重要人物として、間違いなく、その助産婦に関する情報を書き記して後世に伝えたはずである。

にもかかわらず、福音史家である聖ルカも聖マタイも、もしも実在していたら必ずや書き残しているであろう重要人物である助産婦について、全く記録していない。

信憑性に乏しい情報がいくつも混在している二世紀以降に書かれた外典書は別として、聖書正典とされる福音書のいずれもが、主の御降誕の場に助産婦が存在したという記録を、決して残しなどはしなかった。

(注)別エントリー「聖書の時代に神殿の処女は存在したのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1539

そのような一人の助産婦がもしも仮に存在していたとするならば、その一人の助産婦の存在が「羊飼いたち」よりも「東方の博士たち」よりも大きなものであることは、誰の目にも明らかである。
なぜ福音史家たちは、主の御降誕の場に助産婦がいたという記録を残さなかったのか──やはり、そのような助産婦など最初から存在しなかったと結論するのが、妥当である。

重ねて強調するが、主の御降誕は、受胎の時と同様にまた御復活の時と同様に、その出産もまた、常人のそれとは全く異なる超自然的な状況下で行われた、と考える方がむしろ自然であろう。

すなわち、その処女性が少しも傷付けられることのない超自然的な状況の下で、聖母は主イエス・キリストを懐胎されたのと同様に、少しも傷つけられることのない極めて超自然的な状況の下で、聖母は主を御出産された、と考えるべきである。

ルカ1章35節のみ使いガブリエルの受胎告知の際の言葉「聖霊があなたに臨み、いと高き方の力があなたを覆う。」のうち、「聖霊があなたに臨み」が受胎と関係しているのは明らかであるが(マタイ1章18節「イエスの母マリアはヨセフと婚約していたが、同居する前に、聖霊によって身籠(みごも)っているのが分かった。」)、「いと高き方の力があなたを覆う。」という後半の方は、むしろ御降誕の際の超自然的な状況をも説明していると理解すべきであろう。

非常に重要なことであるので繰り返して強調するが、ルカ2章7節は産みの母であるマリア自身が生まれた男の子を産着にくるみ──つまりマリア自身が男の子を取り上げた、と書き記すことによって、主の御降誕の際の出産が超自然的な状況下でなされたという事実を、婉曲に表現しているわけである。

(注)別エントリー「マリアがベツレヘムの宿屋で拒まれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/56

【4】超自然的な出産その他の多くの不思議な出来事を前に、ヨセフはいかに対応したか

自分の婚約者である女性が、処女性を少しも傷付けられることのない超自然的な状況の下で妊娠し、さらに自分の妻として迎え入れた(マタイ1章24節)その同じ女性が、少しも傷つけられることのない超自然的な状況の下で神の御ひとり子を出産するのを、まさにヨセフは歴史の目撃者として、最初に知る立場にあった。

しかも、自分の妻は、「聖なる者、神の子」(ルカ1章35節)の母となるという、その重大事に臨んでも、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(同38節)という、自身の分を弁えた、あくまでも高ぶることなく控え目で、落ち着いた態度であった。

そればかりではなく、ヨセフは妻の親戚で「年老いて」「不妊の女と言われていた」(同36節)エリサベトの妊娠出産など、さまざまの不思議な出来事の中で、日々を過ごしていた。
加えて、エリサベトの夫である祭司ザカリアの身に起こった不思議についても当然ながら、色々と聞かされていたであろう。

また、主の御降誕の直後には、「主の使い」の出現を受けた羊飼いたちが「天の大軍」による神の賛美を目撃し、「主が知らせてくださった」通りに自分たちを訪問したことも、同様にヨセフには強く印象に残ったはずである。

さらには、不思議な星に導かれた東方の博士たちが黄金や乳香や没薬(もつやく)を携えて来訪し、ひれ伏して幼子を礼拝する場面にも、当然ヨセフは立ち会っていた。

そして、イエスを奉献するためにエルサレムの神殿を訪れた際の、シメオンの賛歌と預言、そして女預言者アンナの不思議な言葉についても、それらをことごとく心に留めていた自分の妻マリアとその後いくたびも、どのような意味があったのか、ことあるごとに語り合って意見を交換し、また妻から教えられもしたはずである。

しかもマタイ福音書によればヨセフ自身も、夢の中でではあれ節目節目で、その都度「主の使い」による指示を受け(1章20節、2章11節、2章19節、2章22節)、イエスとマリアのために有益になるよう、適切な行動を取ったのである。

この時期のヨセフ自身、自分が超自然的な雰囲気の中で生きている──生かされていることを疑う余地なく実感していたであろう。

自分の妻が「神の子」の母となっても「主のはしため」という基本的スタンスであって、また自分たちと出会う多くの人々は生まれた幼子を「聖なる者、神の子」と賛美している。ヨセフは当然、自分自身もまた妻の「主のはしため」という位置付けにならい、自分を「主のしもべ」と位置付け自分の残りの生涯を生まれた幼子イエスのためにすべて捧げ尽くす、と固く決意したに違いない。

いかにヨセフが「神の子」の養父という立場になったからといっても、それでも一人の人間として「神のしもべ」であることには何ら変わりはないわけである。
現に自分の妻マリアでさえも、実際に生みの母親でありながら、「わたしは主のはしため」であるという基本的スタンスを崩してはいない。
そうである以上、まして「養父」に過ぎないヨセフ自身においても状況は同様ということになる。

そして、イエスのために生涯を捧げ尽くす、と決意したまさにその瞬間から、ヨセフには妻との間にイエスとは別に子供をもうけよう、などという考えは微塵も浮かばなかったはずである。

「主のしもべとして、イエスのために残りの生涯を全て捧げ尽くす」という決意と、「妻との間にイエスとは別に『自分の子』をもうける」という事柄とは、どう考えても絶対に両立し得ず、決定的に相容れない矛盾ということになる。

本当に「主のしもべとして、イエスのために残りの生涯を全て捧げ尽くす」と思っているならば、「妻との間にイエスとは別に『自分の子』をもうけて父親になる」暇などはないのである。

生まれた幼子イエスとその母のために全てを捧げ尽くす、という聖ヨセフの思いは、「エジプトへの逃避」に際しての行動からも明らかである。
そして何度も「主の使い」は夢の中に現れてヨセフを導き、目覚めて起きるとヨセフはその都度、直ちに行動を起こして、それに応えていた。

(注)別エントリー「聖ヨセフ:ディカイオスを旧約聖書で考察」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1613

マタイ福音書の1章から2章あるいはルカ福音書の1章から2章に書かれている、さまざまなエピソードを体験したマリアもヨセフも、「神の御ひとり子」が礼拝の対象となるばかりか迫害の対象ともなり得ることを身をもって痛感し、その前途の多難さに思いを馳せればまさに身の引き締まる思いの日々だったに違いない。

殊に、生まれて早々「自分の子」であるイエスが迫害の対象になったのを思い知らされた母マリアは、改めて、「主のはしためとして、イエスのために残りの生涯を全て捧げ尽くす」という決意を新たにしたはずである。
イエスの誕生以降、母マリアにとってイエスこそ唯一の関心事と言っても過言でなかったことが、新約聖書の記述からは理解できる。

福音書には、エジプトへの逃避に際して聖家族を助けた人々の存在についての記載が全くない。
もちろん天からの目に見えぬ助力はあったものとは思われるが、基本的に聖ヨセフが事実上たった一人で、聖母子をお守りしながらヘロデ王の勢力圏を脱出して、エジプトへと至ったのである。
ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまでの距離よりも、エジプトへの旅はさらに数倍の距離であり、しかも自分たちの都合で旅の日程を決められるのとは全く異なる、まさに命がけの逃避行だった。

ヘロデ王たちが狙っていたのは、ヨセフ自身の生命でも妻マリアの生命でもなく、ただ幼子イエスの生命のみであった。
幼子イエスの生命については、エジプトへの逃避の際には、まさに聖ヨセフが重大な責任を担ったのである。

それゆえ、ヨセフの、「生まれた幼子イエスと、その母のために、全てを捧げ尽くす」という思いは、まぎれもなく本物であった。
そしてヨセフは、妻マリアが「神の御ひとり子」の母でありながら自分自身のためには何ら特権を要求せず、ひたすら「主のはしため」としての立場をつらぬき通しているのを、その傍で見続けており、熟知していた。

マリアが「神の母」でありながら「主のはしため」であり続けている以上、ヨセフは自分もまた「神の養父」であっても何ら特権を要求できず単なる「主のしもべ」に過ぎない、と妻の態度から学んだであろう。

◯ローマの人々への手紙14章7節〜8節(フランシスコ会訳)
「わたしたちの中で、誰(だれ)一人として自分のために生きる者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。生きるにしろ、死ぬにしろ、わたしたちは主のものなのです。」

自分の産んだ「わが子」は「神の御ひとり子」でありながら、何か月もしないうちに、無力な幼子のままでヘロデ王たちから命を狙われている──この苦境は、母マリアの幼子イエスへの「自分は主のはしためとして、この幼子のために全てを捧げ尽くす」という母としての強い思いを、さらにいっそう燃え上がらせこそすれ、少しも冷え込ませることなどあり得なかったはずである。

そんな苦境にあって、母マリアがイエス以外にも「自分の子」の存在を望むことなど、微塵もあり得なかったであろう。
重ねて強調するが、イエスの誕生以降、母マリアにとってイエスこそ唯一の関心事と言っても過言でなかったことが、新約聖書の記述からも理解できる。

母であるマリアにとって──そして養父であるヨセフにとっても──神の御ひとり子であるイエスが自分たちの傍らに存在していること──イエスを「わが家」に迎え入れていることこそ、まさに全世界を所有しているに等しい事柄だったに違いなく、二人は、それ以外の何物を所有することも望まなかったはずである。

人類の歴史上、マリアとヨセフの二人だけを除けば、それ以外の全ての人間は、神に自分たちの身を守っていただくことをただただ考えていれば、それで良かった。
マリアとヨセフの二人だけが、神に自分たちの身を守っていただくことだけでなく、むしろ、自分たち自身こそが、積極的に日々の具体的な行動をもって、神そのものであられる「自分たちの子」イエスをお守りすることに、何年も何十年も、マリアとヨセフの二人は身も心も砕かなければならなかった。

したがって、キリストを信じる人々にとって、この二人がおのずと別格の存在であることは、当然である。
マリアとヨセフの二人は、決して「普通の夫婦」などではなく、そして一般的に「普通の夫婦」が望むことなどは、決して望みもしなかったに違いない。

(注)別エントリー「予備的考察:聖母崇敬そして聖ヨセフ崇敬の起源とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1750

この夫婦にとっては、イエスの存在こそが全てだったはずで、基本的にそれ以外の何物にも関心はなかったであろう。

妻マリアが「主のはしためとして、イエスのために残りの生涯を全て捧げ尽くす」と決意していた以上、自分だけが「妻との間にイエスとは別の『自分の子』をもうける」と望むことは妻マリアをつまずかせることに他ならず、御父である神がそのようなことを決して望まれているはずなどあり得ない──自分の周辺で起こった多くの不思議な出来事をを通じて、そうヨセフは理解したはずである。

◯マタイによる福音書18章7節(フランシスコ会訳)
「人をつまずかせるこの世は不幸である。つまずきは避けられない。しかし、人をつまずかせる者は不幸である。」

そして自分が妻マリアとの間にイエス以外の「自分の子」をもうけようと望むことは、つまり御父である神そしてその御ひとり子に背を向けることに他ならず自分が不当な権利を行使することだとも、ヨセフは妻マリア及び、周囲の神に忠実な全ての人々──幼子イエスを礼拝した全ての人々の態度からも当然、理解したであろう。

聖母マリアの終生童貞そして聖ヨセフの終生童貞とは、この二人が「神の母」「神の養父」として何らの特権もこの世では要求することなしに「主のはしため」「主のしもべ」としての立場を徹底してつらぬき通したことの裏返しであって、同じくキリストを信じる一人の人間としての立場から考えても、特段の不自然さを感じることなくして十分に理解できる事柄なのである。

神殿とは神の住まわれる場所のことである、という基本に立ち返れば、父なる神の御ひとり子たるイエスの住まわれるナザレの聖家族の家こそが、真の意味での神殿に他ならなかったことになる。

そしてサムエル記上2章22節以降によれば、古代のイスラエルでは、「会見の幕屋」つまり神殿の中にいる女性(神殿に奉仕する女性)が男性と「ともに寝る」ことは、主なる神に対する罪悪(サムエル記上2章23節「悪いこと」同25節「罪を犯す」)に該当すると考えられていたことが、その記述から理解できる。

(注)「会見の幕屋」は、日本聖書協会新共同訳では「臨在の幕屋」。

◯サムエル記上2章22節~25節(フランシスコ会訳)
「さて、エリは非常に年老いていた。彼は、息子たちがイスラエルのすべての民に対して行っていたあらゆること、また、彼らが会見の幕屋の入り口で奉仕する女たちとともに寝たことを耳にして、息子たちに言った、『なぜそんなことをするのか。わたしはお前たちがしている悪いことを、みんなから聞いている。息子たちよ、やめなさい。わたしは主の民が言いふらしていることを聞くが、そのうわさは善くない。人が人に対して罪を犯した場合、神が仲裁してくださる。しかし、人が主に罪を犯すなら、誰がその人のために執りなしをするだろうか』。しかし、彼らは父の言葉に従おうとしなかった。主が彼らを死に至らしめようとしておられたからである。」

(注)別エントリー「『聖母マリアの終生童貞』の聖書的根拠」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2754

ベツレヘムであれナザレであれエジプトであれどこであれ、洞穴であれ家畜小屋であれ粗末な家であれどこであれ、真(まこと)の神であるイエスが住まわれる建物あるいはそれに類するものは、言葉の定義からしても、本来の意味での「神の家」すなわち「神殿」そのものなのである。

◯創世記28章16節~17節(フランシスコ会訳)
「ヤコブは眠りから覚めて言った、『まことに主がこの場所におられるのに、わたしはそれを知らなかった』。彼は恐れて、また言った、『ここは何と畏れ多い場所だろう。ここはまさしく神の家である。ここは天の門だ』。」

そして、マリアもヨセフもイエスと一つ屋根の下に住む以上、

「神殿の中にいる女性(神殿に奉仕する女性)が男性と『ともに寝る』ことは罪悪に該当する」

という立場からすれば、イエスのために残りの生涯を捧げると決意したマリアの終生童貞とヨセフの終生童貞とは、むしろ必然であると考えられる。

すなわちこれこそが、聖母マリアの終生童貞および聖ヨセフの終生童貞の、聖書的根拠と言える。

古代のイスラエルでは、「神の家」において、「神に奉仕する女性」が男性と「ともに寝る」ことなどは、あってはならないこと、つまり不祥事(宗教上の禁忌、タブー)だったのである。

(注)別エントリー「イエスの『兄弟』『姉妹』:同胞か親戚か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1451

モーセの律法で「最も重要な掟」(マタイ22章37節、マルコ12章30節、ルカ10章27節)とされた、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたたちの神、主を愛しなさい」(申命記6章5節:フランシスコ会訳)という掟を、聖母マリアと聖ヨセフは「終生童貞」というかたちで全うしたと言える。