聖書の時代に神殿の処女は存在したのか

(以下の聖書の日本語訳は、特に注記する場合を除いて、フランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』によります)

カトリック教会には、聖母マリアが三歳でエルサレムの神殿に奉献され聖ヨセフと婚約するまでの少女時代をそこで過ごしたという、聖伝がある。
新約聖書には、この聖伝(聖母マリアの神殿奉献)に関する直接の記述は見当たらない。

それでは、聖書時代のエルサレム神殿における「奉献された処女」の存在を裏付ける記述が、聖書全体の中に存在するのかどうかについて、以下に検証する。

【1】モーセの時代以来の「幕屋」には、そこに奉仕する女性たちが存在した

◯出エジプト記38章8節
「会見の幕屋の入り口で奉仕する女たちの鏡を用いて、次に青銅の洗盤と、青銅の台を造った」

この「幕屋」とは、移動可能な組立式神殿のことである。

◯サムエル記上2章22節~25節
「さて、エリは非常に年老いていた。彼は、息子たちがイスラエルのすべての民に対して行っていたあらゆること、また、彼らが会見の幕屋の入り口で奉仕する女たちとともに寝たことを耳にして、息子たちに言った、『なぜそんなことをするのか。わたしはお前たちがしている悪いことを、みんなから聞いている。息子たちよ、やめなさい。わたしは主の民が言いふらしていることを聞くが、そのうわさは善くない。人が人に対して罪を犯した場合、神が仲裁してくださる。しかし、人が主に罪を犯すなら、誰がその人のために執りなしをするだろうか』。しかし、彼らは父の言葉に従おうとしなかった。主が彼らを死に至らしめようとしておられたからである」

幕屋に奉仕する女性たちが男性と床を共にすることは悪と考えられていたことが、このサムエル記上2章22節以下の記述から明らかである(23節「悪いこと」25節「罪を犯す」)。

(注)別エントリー「『聖母マリアの終生童貞』の聖書的根拠」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2754

【2】詩編68(67)編には、神殿の中にいる「おとめ」たちの姿が歌われている

詩編68(67)編には、神殿の中にいる「おとめら」が登場する。

◯詩編68(67)編25節~30節
「神よ、あなたの進まれるのが見えます。わたしの神、わたしの王が聖所を進まれるのが。歌う者は先に立ち、奏でる者は後を行き、おとめらは、その間で鼓(つづみ)を打ちます。『相(あい)集(つど)って神をたたえよ。イスラエルの集会において主をたたえよ』。見よ、彼らを導くのは年若いベニヤミン。二列になって進むのはユダの君主たち、ゼブルンの君主たち、ナフタリの君主たち。神よ、あなたの力を遣わしてください。神よ、わたしたちのために、あなたが建てられたものを強めてください。エルサレムを見下ろすあなたの神殿から。王たちは貢ぎ物を携えて、あなたのもとに来ます」

詩編68(67)編26節において「おとめ」と日本語訳される原文のヘブライ語は、「アルマー(עלמה – almah)」という語である。

この「アルマー」は、「アラーム(עלם – alam)」というヘブライ語の動詞に由来する、女性名詞とされる。
そして、この動詞「アラーム」の意味は、「見られないようにする(隠れる、隠す)」あるいは「知られないようにする(秘密にする)」である。

聖ヒエロニムスは、この「アルマー」の意味を語根の動詞「アラーム」にさかのぼって「隠された女」「知られていない女」という二通りの意味に解釈し、ヘブライ語の「知る(‎ידע – yadah)」という動詞が含む特殊な意味(創世記4章1節:「アダムは妻エバを知った」 → 男が女を望んで関係を持つ)を踏まえ、「知られていない女」を「処女」と理解し、「隠された処女」という訳語に到達している。

レビ記18章では、上記の「知る」と同様に、男女が関係を持つことを意味する婉曲表現として、「隠し所を露わにする(לגלות ערוה)」という言い回しが繰り返される(フランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』参照)点をも考慮すると、

「隠された女(知られていない女)」=「男女関係を持ったことのない女」=「処女」

という婉曲表現として同様に捉えるのは、むしろ極めて自然と言える。

ちなみにイザヤ書7章14節の有名な預言で「インマヌエル」を産むことになる「おとめ」の場合も、その「おとめ」を意味するヘブライ語は「アルマー」なのである。

注)別エントリー「『マリアの処女懐胎は誤訳に基づく話』説は本当か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1524

【3】二世紀の外典書『ヤコブの原福音』の問題点そして誤り

聖母マリアの神殿奉献という聖伝に関しては、その伝承のルーツは紀元二世紀半ば頃に成立したと考えられる『ヤコブの原福音(Protoeuangelium Iacobi, Protoevangelium of James)』という外典書に由来すると、しばしば誤解されてきた。

なぜ外典書『ヤコブの原福音』に由来するという考え方が誤りであるかというと、四世紀末までに既に聖ヒエロニムスが指摘しているように、その外典書には「マリアと結婚する以前にも、ヨセフには結婚歴があり、前妻との間に子供たちをもうけていた」といった類の、カトリック教会の聖伝とは相反する記述が存在するからである。

聖ヒエロニムスは、聖母マリアの終生童貞について論じた著作(De perpetua uirginitate beatae Mariae adversus Heluidium)の中で、主イエス・キリストの父親と呼ばれ、そして母マリアの夫と呼ばれるべき人物について、妻マリアが童貞であったように夫ヨセフもまた必然的に童貞であったに違いないと結論している。
なぜなら、唯一無二の存在であるおとめマリアの終生童貞の保護者を務める男性が未婚者ではなく既婚者であり、しかも複数の子持ちであるというのは道理に合わず、神があえてそのような再婚者となる男などを聖母の配偶者に選ばれることは考えられないというのが、聖ヒエロニムスの論理である。

童貞マリアの保護者として選ばれた人物は、とりわけまず第一にその処女性(終生童貞)の保護者であるべきであって、そのためには、聖母の保護者として選ばれたその男もまた終生童貞であったに違いないと考えるのが、必然的帰結となる。

よって、聖ヒエロニムスは、聖ヨセフが聖母との結婚以前に前妻との間に子供たちをもうけていたといった類の話を荒唐無稽な空想として退け、また聖ヒエロニムスは、その類の記述を含む外典書それ自体についても、全く信用していなかったのである。

いわゆる東方教会のギリシア教父たちの少なくとも何人かが「ヨセフの前妻」説を採用した一方、ローマの教会では聖ヒエロニムスが断固として聖ヨセフの終生童貞を主張し、外典書をも否定したため、歴代教皇のうちではまず聖ダマスス一世が聖ヒエロニムスの主張を容れて外典書『ヤコブの原福音』を排斥したとされ、また五世紀の聖インノケンティウス一世も、同じくこの外典書を排斥した。
そして五世紀末の教皇である聖ゲラシウス一世の名前がしばしば冠せられる『教令集』でも同様に、この外典書は肯定的な意義あるものとしての地位を決して与えられることがなかった。

以上のように五世紀までには、ローマ・カトリック教会における「聖ヨセフの終生童貞」の概念が基礎付けられた。

このような聖ヒエロニムスとギリシア教父たちとの間の見解の相違は、「ヨセフという存在をどう捉えるか」という点では、ローマ教会と東方教会との見解の差異として現在に至るも残っている。

ローマ教会では聖母の終生童貞のみならず聖ヨセフの終生童貞という概念も存在するため、聖画像においても、「聖母子」の構図の他に「聖家族」──つまり聖母子と聖ヨセフの三人を一つの構図の中に収める──という概念も、当然ながら存在している。一方、「ヨセフはマリアとの婚約以前にも結婚歴があり、前妻との間に複数の子供をもうけていた」という「ヨセフの前妻」説が影響力を持っていた東方教会においては、それに伴いヨセフの地位は自然とローマ教会よりは抑えられ、聖画像においても「聖母子」の構図は好まれるが、「聖母子」とヨセフとの間には一線を画すべきという考え方が存在し、ローマ教会のような「聖家族」の構図はむしろ忌避される傾向があった。

逆に言えば、ローマ教会が「ヨセフの前妻」説を収録した外典書『ヤコブの原福音』に対して相当厳しい目を向けていた一方で、東方教会の側では「ヨセフの前妻」説の部分に関しては特段問題視されなかった。

それにもかかわらず、幼子である聖母マリアの神殿奉献という伝承に関しては、六世紀半ば(紀元543年)にはエルサレムの教会でその祝日(11月21日)が制定されるなど、諸教会において信頼に値する聖伝として受け入れられ広まっていった。

従って、以上の歴史的経緯から聖母の神殿奉献に関しては、それが外典書『ヤコブの原福音』とはまた別系統の聖伝に基づくものであると、考えるべきなのである。

四世紀の教会史家エウセビウスが新約聖書の正典に含まれるべき諸書について論じた際には、この『ヤコブの原福音』に関しては全く取り上げることがなかった。

問題外の代物とみなされていたわけである。

外典書『ヤコブの原福音』の記述中に現在のカトリック教会の主張と一致している部分と相反する部分とが混在しているという事実から、この外典書とはまた別系統の伝承によって幼子である聖母マリアの神殿奉献という事柄への信仰が受け継がれてきたと考えることが可能である。

聖ヨセフはマタイ福音書1章19節で「正しい人(δίκαιος – dikaios)」と呼ばれているが、このギリシア語が聖書の中で表現している「正しい人」という概念は、「神の御計画の中で求められているその役割を果たすのにふさわしいと判断され選ばれた者」という意味合いを含んだ「正しい人」なのであり、ただ単に「いい人」といった程度の軽い意味合いとは大きく異なる。

つまり、神は聖母子の守護者として他ならぬ聖ヨセフその人を「御計画の中で求められているその役割を果たすのにふさわしいと判断され選ばれた者」として望まれていたのだと、結論することができる。

重ねて言うがそれゆえに聖ヒエロニムスは、聖ヨセフは聖母との結婚以前に前妻との間に子供たちをもうけていたといった類の話を荒唐無稽な空想として退けて、そのような記述を含む外典書それ自体についても、全く信用していなかったのである。

興味深いことだが、外典書の記述が福音書の記述と決定的に矛盾している箇所が、他ならぬ主の御降誕の場面に存在する。
外典書ではマリアの出産の場面で助産婦(助産師)が登場するが、ルカ福音書2章7節には、聖母がお生まれになった男の子を御自身で「産着に包み、飼い葉桶(おけ)に寝かせた。」と書かれている。つまり御出産──主の御降誕に当たっては、お生まれになった主イエスを取り上げたのは、ほかならぬ聖母御自身であって、そこに助産婦は介在してなどいなかった──主の御降誕の場には助産婦は最初から存在しなかったのである。

外典書『ヤコブの原福音』は、ルカ福音書とは異なる事柄を記載していることになる。

むろん、助産婦が介在していない分娩(出産)というのは、尋常のものではない。

つまりルカ福音書2章7節は、聖母がお生まれになった男の子を御自身で「産着に包み、飼い葉桶(おけ)に寝かせた。」と書くことによって、受胎(妊娠)の時と同様、出産の際にも、助産婦ではないなんらかの超自然的な介在、神的な力の介入があったことを、示唆しているわけである。

(ちなみに聖書の中に助産婦が登場する例としては、創世記35章17節、同38章28節以下、出エジプト記1章などが挙げられます)

重ねて強調するが、主の御降誕は、その受胎の際にそうであったように、通常の人間の母子の間に起こる事柄とは全く別次元の状態においてなされた、ということである。

ルカ1章35節のみ使いガブリエルの受胎告知の際の言葉「聖霊があなたに臨み、いと高き方の力があなたを覆う。」のうち、「聖霊があなたに臨み」が受胎と関係しているのは明らかであるが(マタイ1章18節「イエスの母マリアはヨセフと婚約していたが、同居する前に、聖霊によって身籠(みごも)っているのが分かった。」)、「いと高き方の力があなたを覆う。」という後半の方は、むしろ御降誕の際の超自然的な状況を説明していると理解すべきであろう。

(注)別エントリー「主の御降誕に助産婦が介在しなかった意味とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2544

そして外典書では、妊娠に気づいたヨセフがマリアを詰問して憤りをぶつける場面も存在するが、マタイ1章20節でヨセフの心の動きを表現するのに用いられているギリシア語動詞(ἐνθυμέομαι – enthumeomai )からは、ヨセフの憤慨はもし仮に生じたとしてもそれはあくまでもヨセフの心の中でのものであり、ヨセフがマリアに対して面と向かって憤りをぶつけることはなかったであろうことが、暗示されている。

(注)別エントリー「婚約者の妊娠を知った時のヨセフの心情」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3092

とはいえ、もちろん外典書に含まれている情報の全てが誤りというわけではない。
マリアの両親がヨアキムとアンナである、という記述はもちろんカトリック教会の聖伝と一致しており、また、マリアが三歳の時に神殿に奉献され十二年間をそこで過ごした後、ヨセフと結婚後も処女のままで十六歳の時にイエスを出産した、という話も、概ね受け入れられている伝承である。

以上のように、外典書の中にはカトリック教会の聖伝と一致している話と相違している話とが混在しており、その取り扱いについては非常に慎重でなければならない。

【4】キリストの「兄弟」「姉妹」とはどういう意味か

現在のカトリック教会では四世紀末までに聖ヒエロニムスが主張していたのと同様に、聖母マリアの終生童貞そして聖ヨセフの終生童貞を主張している。

しかし、このことに対しては、「新約聖書にはキリストの兄弟や姉妹の存在が記述されているのではないか」という異論が、当然ながら申し立てられてきた。

マタイ福音書12章46節や同13章55節にはイエス・キリストの兄弟の存在が記述され、また姉妹の存在についてもマタイ福音書13章56節やマルコ福音書6章3節に書かれている。
そしてガラテヤの人々への手紙1章19節には「主の兄弟ヤコブ」が登場する。

新約聖書のギリシア語表現には、旧約聖書のヘブライ語表現から直訳されているものが少なくないが、「兄弟」や「姉妹」もその範疇に入る。
ヘブライ語における「兄弟」または「姉妹」とは、伯父甥(伯母姪)・叔父甥(叔母姪)や従兄弟(従姉妹)など、広く近親者を総称したものであり、必ずしも親を同じくする同胞を指すものではない。以下に、それらの実例を列挙する。

バルバロ訳聖書(講談社)の『創世の書』29章12節と15節では、甥ヤコブと伯父ラバンの間柄として、ヘブライ語原文(ach – אָח)に忠実に「兄弟」と訳している。
フランシスコ会聖書研究所訳の創世記では「親族」「親類」などと訳しているが、原文を直訳するとあくまでも「兄弟」である。

また同じくバルバロ訳『創世の書』13章8節では、伯父アブラムと甥ロトの間柄として、やはりヘブライ語原文(ach – אָח)に忠実に「兄弟」と訳している。
フランシスコ会訳の創世記では「身内どうし」と訳しているが、原文を直訳するとやはり「兄弟」である。

バルバロ訳『創世の書』31章の46節と54節の「兄弟たち」は、フランシスコ会訳創世記では「一族の者」「一族」となっている。

出エジプト記4章18節では、親族の無事を確認したくなったモーセが舅のエトロにエジプト行きを願い出るが、フランシスコ会訳や日本聖書教会新共同訳が「親族」と訳している一方で、やはりバルバロ訳はヘブライ語原文(ach – אָח)に忠実に「兄弟」と訳している。

フランシスコ会訳でも士師記9章3節(「彼はわれわれの兄弟だ」)のように、近親者(甥)を「兄弟」と訳している箇所が見受けられる。レビ記10章4節でも、従兄弟の子を「兄弟」と表現している。

ヘブライ語表現では、「兄弟」が親を同じくする同胞を指す場合には、以下に示す事例のように、必ずその旨が付け加えられている。
例えば申命記13章7節には「同じ母の子であるあなたの兄弟」という表現があり、同じく申命記27章22節には「父の娘であれ、母の娘であれ、自分の姉妹と寝る者は呪われる」という記述もみられ、士師記8章19節には「彼らはわたしの兄弟、わたしの母の子だ」という箇所がある。

申命記27章22節と同様の記述は、レビ記(18章9節と20章17節)にも存在する。

詩篇50(49)編20節でも、「兄弟」と「(同じ)母の子」とをわざわざ別に分けて並記している。

◯詩編50(49)編20節(フランシスコ会聖書研究所訳)
「座して兄弟の悪口を言い、母の子のうわさをまき散らす」

新共同訳では「同じ母の子」と表現している。

ただ単に「兄弟」「姉妹」というだけでは、親を同じくする人々かどうかが明らかではない。

それどころか、確かに血のつながりがあるとはいえ既に相当な遠縁の場合でさえも「兄弟」と表現されることがある。

民数記16章は、同じ部族であるレビ族(「レビの子ら」)全員を指して「兄弟」と呼ぶ。

◯民数記16章10節
「このように主は、あなたとあなたの兄弟であるレビの子らすべてをあなたとともに近づけられた。それなのに、あなたたちは祭司の職まで求めるのか」

サムエル記下19章13節では同じイスラエル人という観点から「兄弟」と表現されている。

申命記23章には、さらに広い意味合いで「兄弟」という語が用いられている。

◯申命記23章7節
「あなたはエドム人を忌み嫌ってはならない。あなたの兄弟だからである」

フランシスコ会聖書研究所訳の欄外の注には、「エドム人とイスラエル人は、双子の兄弟エサウとヤコブの子孫である」と説明されているが、双子の先祖から分かれて以降、申命記の時代まで既に何世代も経ているのである。

そしてサムエル記下1章26節では、親友ヨナタンの死を悼んだダビデが、故人に対して「わたしの兄弟」と呼び掛けさえしている。

聖書時代におけるユダヤ人の「兄弟」「姉妹」の概念について、最も象徴的に明らかにしてくれるのは、旧約聖書の中のトビト記(バルバロ訳では『トビアの書』)である。

旧約聖書の中でも、いわゆる第二正典とされるトビト記は、死海写本に含まれるヘブライ語による断片があるものの、ギリシア語七十人訳やラテン語訳(旧ラテン語訳及びヴルガタ訳)に基づいて翻訳されるのが一般的である。

そこで、新約聖書でイエスの「兄弟(αδελφος – adelphos)」や「姉妹(αδελφη – adelphē)」として用いられているギリシア語が、旧約聖書の古代ギリシア語訳ではどういう意味合いで用いられているかを、トビト記で検証することができる。

トビト記に登場するトビアの父親はトビト、母親はハンナである。
また、トビアと結婚することになるサラの父親はラグエル、母親はエドナである。
そして、3章15節と6章12節には、ラグエルの子はサラ一人だけであることが明らかにされている。
よってトビトとサラは、異母兄妹(姉弟)でも異父兄妹(姉弟)でもありえない。

にもかかわらず、6章19節ではトビアから見たサラを「妹」(フランシスコ会訳。バルバロ訳では「姉妹」)と表現しているが、この箇所で用いられているギリシア語は「姉妹(αδελφη – adelphē)」であって、これはマタイ福音書13章56節やマルコ福音書6章3節でイエスの「姉妹(たち)」を表現するものと同じ単語である。

これはトビアとラグエルが「兄弟(αδελφος – adelphos)」(7章10節)つまり親族関係にあることに基づく表現と言える。

新共同訳では「身内の娘」あるいは「身内」(7章11節)と表現しているが、ギリシア語原文に忠実に日本語訳するのであれば、やはり直訳ならば「姉妹」であるべきである。

逆に言えば、マタイ福音書13章55節から56節やマルコ福音書6章3節における「兄弟」は、「身内」「親戚」「親族」と訳することが可能であり、「姉妹」についても同様であることが確認できる。

言うまでもなく、トビト記には大天使ラファエルがトビアの旅の同行者として登場し、ラファエルは当初、トビトの「兄弟である偉大なハナニアの子、アザリア」(5章13節)と名乗っており、トビアとアザリアは互いに「兄弟」と呼び合っている。

これらの記述から、聖書ギリシア語(聖書の時代にユダヤ人たちが使用していたギリシア語)では「兄弟」「姉妹」が「身内」「親戚」「親族」の意味として用いられることが、トビト記(トビアの書)の中の豊富な用例から証明できるのである。

◯トビト記4章12節
「息子よ、すべてのみだらな行いから身を守りなさい。何よりもまず、先祖の家系から妻を迎えなさい。お前の父の部族でない他の部族の女を娶ってはならない。なぜなら、わたしたちは預言者の子らだからである。息子よ、忘れてはならない。ノア、アブラハム、イサク、ヤコブおよびわたしたちの祖先はみな兄弟の中から妻を迎え、彼らはその子らにおいて祝福されたのである。彼らの子孫は、地を受け継ぐであろう」

このトビト記4章12節は、聖母マリアの先祖もまた聖ヨセフの先祖と同じくダビデであるという仮説についての、聖書的根拠の一つともいえる。

聖ヨセフはマタイ福音書1章19節で「正しい人(δίκαιος – dikaios)」と呼ばれているが、このギリシア語が聖書の中で表現している「正しい人」という概念は、「神の御計画の中で求められているその役割を果たすのにふさわしいと判断され選ばれた者」という意味合いを含んだものであるため、聖ヨセフと聖母マリアの婚約に関して、トビト記4章12節にあるようなイスラエルの古き良き伝統に留意されたものであったと想定するのは極めて自然である。

以上から、新約聖書の中で主イエス・キリストの「兄弟」「姉妹」の存在を示す箇所があったとしても、その「兄弟」「姉妹」の親の名前が明記されていない以上、それがイエス・キリストと親を同じくする同胞の存在を意味するものであると決めつけることはできない。
逆に言えば、主イエス・キリストと親を同じくする「兄弟」「姉妹」であると新約聖書に明記していない限り、その「兄弟」「姉妹」については、むしろ親を同じくしない従兄弟(従姉妹)などの広く近親者を指す表現であろうと推測する方が、妥当なのである。

現に、主イエス・キリストの「兄弟」「姉妹」として新約聖書に挙げられている人々のうち、父親がイエスの養父ヨセフであると書かれている者は一人としていないし、ましてや母親がイエスの母マリアであると書かれている者も一人として存在しない。

つまり主イエス・キリストの「兄弟」「姉妹」の存在を示す聖書の記述と、聖母マリアと聖ヨセフの終生童貞を主張するカトリック教会の聖伝とは、なんら矛盾しない。

マタイ福音書1章25節にはヨセフがイエスの実父ではないことが書かれているが、一方でマリアがイエスの実母であることは、同節で「産む」という動詞が使われてその母子関係が語られていることからも明らかである。

参考までに、トビアがサラを娶った時の祈りの言葉から一部分を引用する。

◯トビト記8章7節
「主よ、あなたはご存じです。今、わたしがこの妹を娶るのは、決して情欲のためではなく、真心からです。わたしと彼女とに憐れみを垂れ、ともに老いるまで生き永らえさせてください」

これまでの議論からは、この引用箇所でトビアがサラを「妹」と呼ぶ場合、この「妹」の意味するのが「親戚の女性」であって「親を同じくする同胞」ではないことは、明白である。

ちなみに、十二使徒の中の「ゼベダイの子ヤコブ、その兄弟ヨハネ」(マタイ福音書10章2節)に関しては、マタイ20章20節で「ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとに来て」とあり、続く21節には母の言葉として「わたしのこの二人の子が」とあるので、この場合ヤコブとヨハネが父母を同じくする兄弟であることが容易に判別できる。

【5】ユダヤ教の伝承と神殿の処女

ユダヤ教の伝承文学であるミシュナ(Mishnah Shekalim)は、紀元七〇年にエルサレムとその神殿が滅亡する以前の状況に関して、神殿には八十二人の奉献された処女がいて二枚の垂れ幕を織っていたことが、記録されている。

この垂れ幕は、縦が約一八メートル、横幅が約九メートル、厚さは掌の横幅分で、年ごとに二枚の垂れ幕が新調されて、祭司が三百人掛かりでそれを運搬したと書かれている。

旧約聖書の出エジプト記には垂れ幕について次のような記述がある。

◯出エジプト記26章31節
「次に、青と紫と緋色の糸と亜麻のより糸を用いて、巧みにケルビムの模様を織り込んだ垂れ幕を造れ」

また同じくユダヤの伝承文学の集大成であるタルムードの中のある記述(Babylonian Talmud Kethuboth)によれば、神殿に奉献された処女たちは垂れ幕を織るほかに、神の御前に供えるためのパンを焼いたり、香を準備したりするといった職務を担っていたとされている。

そして敵がエルサレムの神殿に火を放って炎上させた際、神殿の処女たちは敵の兵士たちに捕らえられるのを嫌って自ら燃え上がる炎の中に身を投じたという伝説も、ユダヤ側には残されている(Pesikta Rabbati)。

外典書『ヤコブの原福音』の中には聖母マリアが神殿の垂れ幕を織る仕事に携わる記述があるが、これは確かに前述したユダヤ教の伝承を連想させるものである。
しかしながら、結婚のために既に神殿の外に出て生活している女性が、単独で垂れ幕の製作に従事するというのであれば、厳密にはユダヤ教の伝承とは相違するものと考えられ、このことからも、外典書の記述にはその細部に誤った情報が混在しているのではないかという疑問が払拭できない。

神殿の聖所の垂れ幕はミシュナの記述によれば、重厚長大な造り(縦が約一八メートル、横幅が約九メートル、厚さは掌の横幅分)であったとされている。

また福音書には、主イエス・キリストの臨終の際に神殿の聖所の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたと書かれているが(マタイ27章51節、マルコ15章38節)、垂れ幕がミシュナの記述通りの重厚長大な造り(縦が約一八メートル、横幅が約九メートル、厚さは掌の横幅分)であったとすれば、その瞬間に垂れ幕に働いた力の大きさおよびその起源とは、やはり尋常ならざるものであったと考えざるを得ない。
ルカ23章45節には「聖所の垂れ幕が真ん中から二つに裂けた」とあるが、これほどまでに巨大な垂れ幕を人為的な方法で真ん中から二つに裂くことは、恐らく不可能であろう。

【6】外典書以外の神殿奉献の伝承とは

少女時代の聖母の神殿奉献に関しては、外典書『ヤコブの原福音』以外では別系統の伝承として、一世紀の聖人である聖エヴォディウスの証言に遡ることができる。
聖エヴォディウスは、聖ペトロの後を受けてシリアのアンティオキアの司教になった人物で、また一説にはルカ福音書10章で主イエス・キリストが選ばれた七十二人の中の一人であったとされるが、この聖人が聖母の神殿奉献に関する情報を最初に残したとされている。

一世紀のこの聖人の証言に関する記録は、一四世紀前半のギリシア正教会の歴史家ニケフォロス・カリストスによって書き残されている。
つまり聖母の神殿奉献に関する証言は、外典書『ヤコブの原福音』よりもさらに古い時代に、既になされていたのである。

この聖エヴォディウスの証言によれば、聖母マリアは三歳の時に主の神殿に奉献され、そして結婚適齢期となって聖ヨセフとの婚約が決まって彼に委託される時まで、エルサレムの神殿で十一年の間、生活していたということである。そして、神の母が世界に救い主をもたらしたのは十五歳の時であったと、この聖人は書き記したが、しかし既にその著作は失われてしまっている。

聖エヴォディウスは紀元七〇年のエルサレム神殿の滅亡より少し前に帰天したと考えられている。

外典書の記述がカトリック教会の聖伝と相違する事項として、ヨセフに結婚歴があり複数の子供がいたなどの話があるが、少女時代のマリアと婚約した際にヨセフがかなりの高齢者であったという話に関しても、外典書が言及するところの結婚歴とか複数の子供の存在との辻褄を合わせるためのものと考えられ、基本的に信頼には値しない情報であると思われる。

実のところ聖ヨセフの年齢に関しては新約聖書に全く記述がなく、聖母との年齢差については何ら特記すべき事柄がなかった(あえて特筆すべき必要性がなかった)ことを暗示している。

【7】聖ヨセフの年齢の問題

実際問題として、幼子イエスとその母マリアをヘロデ王の追跡の手から保護しながら、数百キロも離れたエジプトまで逃避する(マタイ福音書2章)、という極めて重い任務を担った聖ヨセフが、外典書の記述する如き相当の高齢者であったと考えることは、荒唐無稽な空想であると言わざるを得ない。
当時の聖ヨセフは気力・知力・胆力・体力・行動力・判断力などの全てがまさにその人生における充実期・最盛期にあったと考えるべきで、そうでなければ、ヨセフが幼子イエスとその母マリアの最も危険な時期の保護者たり得ることなど、全くかなわなかったはずである。
もしも聖ヨセフが外典書に書かれているような相当な高齢者であったとするなら、とうてい果たせない任務であろう。

福音書には、エジプトへの逃避に際して聖家族を助けた人々の存在についての記載が全くない。
もちろん天からの目に見えぬ助力はあったものとは思われるが、基本的に聖ヨセフが事実上たった一人で、聖母子をお守りしながらヘロデ王の勢力圏を脱出して、エジプトへと至ったのである。
ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまでの距離よりも、エジプトへの旅はさらに数倍の距離であり、しかも自分たちで旅の日程を決められるのとは全く異なる、まさに命がけの逃避行だったのである。

マタイ福音書1章から2章の時期の聖ヨセフの年齢についても、福音書には記載が全くない。
しかし、エジプトへの逃避という不測の事態にも冷静かつ沈着に対応して行動に移すことが可能で、ましてや神の御ひとり子とその母の保護者という、その両肩に担った責任の重大さを考慮するならば、聖ヨセフは疑いなくその人生における充実期・最盛期にあったと考えるのが当然であり、主イエス・キリストも同様に公生活の時期に重大な任務を担われたことを想起するならば、恐らくこの時期の聖ヨセフも主の公生活の時期と年齢的にはほとんど同じ年代であったであろうと考えるのが自然である。

すなわちルカ福音書3章23節を参考にすると、聖母との結婚から主の御降誕そしてエジプトへの逃避など一連の出来事の時期の聖ヨセフも同様に、主の公生活時の年齢である三十代前半であったと推論するのが、妥当であると考える。

繰り返すが、聖ヨセフはマタイ福音書1章19節で「正しい人(δίκαιος – dikaios)」と呼ばれているが、このギリシア語が聖書において表現している「正しい人」という概念は、「神の御計画の中で、その役割を果たすのに最適と判断され選ばれた者」という意味合いをも含んだ「正しい人」なのである。
それゆえに、やはり当時のヨセフは、その年齢も含めて「マリアの夫」「イエスの父」として少しも不自然さを感じさせない、神の御目に適った人物であったに相違ないと考えるべきである。

もしも聖ヨセフと聖母との間に(外典書において書かれているような)特筆すべき年齢の差が存在したとするなら、その点に触れた記述が福音書にあるはずだが、マタイ福音書にもルカ福音書にも、そのような話は示唆すらされていない。

ルカ福音書2章では、「アシェル族のファヌエルの娘」(26節)である女預言者アンナの存在について語られているが、彼女の年齢についてルカ福音書2章は「すでに八十四歳になっていた」(27節)と言及している。

主イエス・キリストの御誕生前後の時期の聖ヨセフが、もしも『ヤコブの原福音』その他の外典書に書かれているように、実際にかなりの高齢者であったとするなら、女預言者アンナに対して記述したように、ルカ福音書は聖ヨセフの年齢を必ず明記したはずである。
にもかかわらず、ルカ福音書は聖ヨセフの年齢について少しも記述していない。

なぜルカ福音書は、聖ヨセフの高齢については全く言及しなかったのか──その理由は、実際には聖ヨセフが高齢者などでは全くなく、同時代の人々から見ても聖母との年齢差は必ずしも違和感を生じさせるものではない程度だったからであろう。

(注)別エントリー「マリアがベツレヘムの宿屋で拒まれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/56

〔追記〕

ルカ福音書2章の43節以降には、過越祭のために上京した聖家族のうち、帰る途中で主イエスを見失ったと気付いた聖母と聖ヨセフとがエルサレムへと引き返し、三日の後に、主を神殿に見出すというエピソードがあるが、ここでの聖ヨセフは聖母とともに行動し、高齢のためにかえって聖母の足手まといになるような話はなく、高齢をイメージさせる要素は全くない。主イエスが十二歳になられた折の話なので、もし仮に外典書の記述通り主の御降誕の折に聖ヨセフが既にかなりの高齢者であったとするならば、その十年以上後には聖ヨセフはもはやナザレとエルサレムとの間の徒歩での往復はおぼつかず、必死に息子を捜し求める若い妻マリア──まだ二十代後半であったと考えられる──が矢も盾も堪らず急いで駆け出して行くのと同じ速さで移動することなどは当然不可能になっているはずだが、それではルカ福音書2章44節以降の記述とは全く矛盾したものとなってしまう。この議論からも、外典書における「高齢者ヨセフ」という設定などそもそも成立し得ないことが確認できる。

(注)別エントリー「ヨセフは主の御降誕の時に何歳だったのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2923