試論:「種を蒔く人」最重要事項を140文字以内で

【問】福音書の「種を蒔く人」のたとえで最も重要な事柄は何ですか?
【答】「『種』とは『神の御言葉』」(ルカ8章11説)という事柄です。「神の御言葉」とは、ヨハネ1章1節の「言(ことば)」つまり御子イエス・キリストを指し、「言」とは《御自身で人々に御言葉をお話しになる神》のことです。

【追記】

【問】なぜ、「山上の説教」は重要なのですか?
【答】主イエス御自身がマタイ7章26節で、「わたしのこれらの言葉」つまり「山上の説教」について、「聞くだけで行わない者は砂の上に家を建てた愚かな人も同然」と仰せになり、この人々が「天の国に入れるわけではない」(同7章21節)ことを暗示しておられるからです。

(注)別エントリー「なぜ『山上の説教』は重要か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/26810

【問】ヨハネ14章15節「あなたたちは、わたしを本当に愛しているのなら、わたしの掟を守るはずだ」の「掟を守る」とは?
【答】申命記7章11節「あなたたちは、今日わたしが『行いなさい』と命じた戒めと掟とを守らなければならない」の通り、「掟を守る」とは、掟を実際に行う以外にありません。

【問】「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による」。これと同じ主張は福音書にありますか?
【答】マタイ9章13節「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」。神なる主がお喜びになる行いは、割礼や各種の献げ物:いけにえの類いではなくて、隣人愛の実践です。

【問】「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく」の「律法の行い」って、何?
【答】ローマ3章30節以下では割礼が話題にされますが、ヘブライ10章5節以下は「罪を贖うためのいけにえ」、「焼き尽くす献げ物」に言及し、続いて、神はこれらを望みもせず、好まれもしなかったことを説明します。

【問】では、「人が義とされるのは信仰による」の「信仰による」は、聖書のどの箇所で説明されますか?
【答】ガラテヤ5章6節「キリスト・イエスに結ばれているなら、愛の実践を伴う信仰こそ大切」ヤコブ2章17節「行いを伴わないのなら、信仰はそれだけでは死んだものです」。

【問】ローマ5章9節は「わたしたちはキリストの血によって義とされた」と記しています。洗礼を受けて信者になれば、後で何をしても救われるの?
【答】ヘブライ10章26節以下では「わたしたちが真理の知識を受けた後でも、故意に罪を犯し続けるとすれば、〜」等と厳しい表現で強く警告しています。

(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11332

(注)別エントリー「試論:『真理』あるいは三位一体を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7662

ヨハネ1章は主を「言(ことば)」すなわち「神の御言葉」と表現した。これは「〔神の〕小羊」と同様に主イエスの特徴を表す称号で「御自分でお話しになる神」を意味する。神は御姿を人々にお見せにならず天使や預言者を介してお話しになると考えられていたが、主は直接人々に御言葉をお教えになった。

(注)別エントリー「試論:『福音書を読まないこと』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5846

(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5851

(注)別エントリー「試論:神であり人であるキリストを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6725