ルカ福音書1章の「受胎告知」の際、自由意志によるマリアの承諾を得た後に、み使いガブリエルは去った。おとめマリアの承諾がなければこの世界に救いはもたらされずマリアなくしてキリスト教自体も存在しないのだから当然、「救い主の母」マリアを「救い主」を信じる人々全てが崇敬すべきなのである。
(注)別エントリー「予備的考察:聖母崇敬そして聖ヨセフ崇敬の起源とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1750
(注)別エントリー「聖家族はどのような雰囲気の中で暮らしていたのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5246