マタイ4章で荒れ野におられる主の前に現れた悪魔は、「神の子なら、石がパンになるように命じたらどうだ」「神の子なら、飛び降りたらどうだ」「わたしを拝むなら、すべてを与えよう」などと主を誘惑したが、御受難の際に主を侮辱した多くの人々も、例外なく荒れ野の悪魔と同じような口振りであった。
(注)別エントリー「隣人愛の反対は理由なき悪意そして憎しみ」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1982
(注)別エントリー「悪に巻き込まれないためにどうすべきか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4814
(注)別エントリー「レビ記19章17節:理由のない悪意」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4826