生涯の大半、ダビデ王は貧困とは無縁に見えたが、詩編で神の救いを切望(40編14節、70編2節)する際、自身の内面を「貧しい」と表現した(40編18節、70編6節)。ダビデの詩編を踏まえればマタイ5章3節に登場する「心の貧しい人」とは実際には、神の救いを切望している人のことである。
(注)別エントリー「試論:『柔和な人は幸いである』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5976
(注)別エントリー「試論:『心の清い人は神を見る』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5937
(注)別エントリー「ファリサイ派の人と徴税人」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5182