ルカ18章14節で主は、義とされたのはファリサイ派の人ではなく徴税人の方だと仰せになったが、徴税人は他人を裁くことや他人を罪人と決めつけることを一切せず、ただ自分の非を認め、神の憐れみを切望したからである。主はこの話で、各自がまず自分自身と向き合うべきであることをお教えになった。
(注)別エントリー「『他人を裁くな』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9378
(注)別エントリー「『盗賊さえ楽園に達した』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8383