試論:「ただあわれみの業だけ」を140文字以内で

主はルカ11章41節で、ただあわれみの業(同10章33節以下)だけを行うならば内面は清いままであり続けると仰せになり、自分自身を義化(同29節)するために質問し最後に認識を共有できた人(同37節)とは違ってその人と同じ律法学者であっても揚げ足取りしか考えぬ人々を、お嘆きになった。

(注)別エントリー「試論:ルカ11章41節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6688

(注)別エントリー「善きサマリア人:律法の専門家が質問した動機とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4544