試論:「休ませてあげよう」を140文字以内で

イザヤ28章16節には「シオンの隅の親石」の預言があるが、12節前後では、神の御言葉は人々に安息をもたらすものなのに、本来の意義を忘れて御言葉を伝える者たちが命令や規則として扱っていると告げる。マタイ11章28節で主イエスは、御自分の御言葉は人々に安息をもたらすと、仰せになった。

【追記】

マタイ11章28節で主は、「疲れた者はだれでもわたしのもとに来なさい」と仰せになったが、「人となられた神」(ヨハネ1章14節)が世に来られた目的とは、人間としての舌および、その仰せになる御言葉(ヨハネ1章1節)をもって、疲れた者を直接間接に、励ます(イザヤ50章4節)ためである。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5844

(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5851