試論:「洗礼者ヨハネとエリヤ」を140文字以内で

洗礼者は何のしるしも行わなかった(ヨハネ10章41節)が、主は彼がエリヤだと仰せになった(マタイ11章14節)。洗礼者自身はエリヤであることを否定した(ヨハネ1章21節)が、人々から「天からのしるし」(列王上18章38節、マタイ16章)を求める声が起こらないようにするためだった。

(注)別エントリー「試論:洗礼者は『エリヤ』か??を140文字以内で」も参照のこと。
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