試論:「預言と私的啓示の違い」を140文字以内で

旧約の律法では王や大祭司も預言者に従う定めがあったがダニエル9章24節は「預言を封印するメシア」を預言し、ルカ21章22節の主の御言葉と紀元七〇年のエルサレム滅亡で、その預言は成就した。その後も当然「私的啓示」は続くが、決してそれらを旧約時代の「預言」と同じ扱いにしてはならない。

(注)別エントリー「試論:『偽預言者』と『もみ殻』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7600

(注)別エントリー「試論:偽預言者の悪質性を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7549

(注)別エントリー「試論;『人を惑わす霊』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5682

(注)別エントリー「試論:偽預言者と反キリストの霊を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6839

(注)別エントリー「試論:偽預言者と貪欲を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7125

(注)別エントリー「試論:偽預言者と滅亡を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5401

(注)別エントリー「試論;偽預言者の識別を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6118

【追記】

ダニエル9章24節はメシアについて預言の時代を封印する存在だと預言し、主はルカ21章22節で、(紀元七〇年の)エルサレム滅亡で旧約聖書の全預言が成就し預言の時代が終わると仰せになった。故に紀元七〇年以降の国際情勢と旧約聖書の預言は無関係で、関係ありとする強弁は主の御言葉に反する。

(注)別エントリー「試論:主イエスと旧約聖書の預言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7462