コヘレト12章7節では人間の肉体を「塵」と表現し死によって大地(創世記2章7節、3章19節)へ帰ると記すが、洗礼により「神の子とする霊」(ローマ8章15節)を受けた者の「霊」は対照的に、罪に脆い肉体の重荷から解放され「霊」をくださった「与え主」神の許へ帰るべきだと定められている。
(注)別エントリー「試論:『盗賊さえ楽園に達した』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8383
【追記】
一コリント15章でパウロは「地上の体」「天上の体」という表現を用いて、《人間が地上で生活していた際の、死によって朽ちていく肉体》と《その人の霊が神の許に帰還した後で、神によって天上で新しく与えられる、朽ちることのない体》について説明し、後者を「霊の体」(44節)等と表現している。
(注)別エントリー「試論:『イエスは復活と命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8389