試論:「人間をとる漁」のたとえを140文字以内で

主イエスはシモンたち四人を「人間をとる漁師にする」と仰せになり弟子とされたが、マタイ13章47節以下は福音宣教を漁にたとえ、正しい人々に紛れ込んでいる悪い者どもは選り分けられると記す。7章23節「おまえたちのことなど、わたしは全く知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ」。

(注)別エントリー「試論:大工と漁師たちを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6635

【追記】

主はマタイ13章45節以下で、「天の国」を全財産と引き換えにしてでも手に入れるべき真珠にたとえられた。最後の審判を踏まえるなら「天の国」は「永遠の命」と同義だが、「もし『永遠』とは何かを理解したならば、人々はあらゆる努力で自分の生活を改めるでしょうに」(ファティマの聖ヤシンタ)。

(注)別エントリー「試論:『主の祈り』と最後の審判を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7047

(注)別エントリー「試論:『最後の審判』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5427