試論:「婚約者の妊娠とヨセフ」を140文字以内で

マタイ1章20節の本文は、婚約者の妊娠を知ったヨセフの心情をエントゥメオマイと表現する。通常この語は熟考・熟慮を表し内面の怒りや憤慨を表す可能性も含むが、ヘロデの激昂を表す2章の語トゥモオーと違い、あくまでも本人の内面に留まるもので婚約者に感情を直接ぶつけた可能性は否定的である。

(注)別エントリー「婚約者の妊娠を知った時のヨセフの心情」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3092

【追記】

詩編15編3節は、神なる主と同じ住まいで暮らす人の条件として、周囲に対して中傷をせず、害を及ぼさず、小馬鹿にした態度を取らないことを挙げ、また2節では完全(=無垢)で、義を行うことを挙げる。主イエスの同居家族として、ヨセフが幼子や幼子の母を困らせる行動に出た可能性は皆無と言える。