古代のローマ人はギリシア演劇を愛し、帝国の主要都市には競技場や公衆浴場とともに、ギリシア演劇を上演する野外劇場を必ず建設した。パウロの職業スケノポヨース(「テント造り」:劇場の舞台装置職人)は、都市から都市への移動を繰り返す宣教生活をパウロが続けて行く上で、極めて好都合であった。
【追記】
パウロの職業は、使徒言行録18章3節では「テント造り」と訳され、原文のギリシア語「スケノポヨース」の直訳はその通りだが、このギリシア語はパウロの時代には「劇場の舞台装置職人」をも意味した。使徒言行録19章29節でパウロの糾弾を目論んだ人々が劇場に押し掛けた理由は、そのためだった。
古代ローマ時代において、「テントを造る」というギリシア語が、野外劇場の舞台装置の設営をも意味していたことは、二世紀のユリウス・ポルクスの著作『オノマスティコン』に記されている。テント(幕屋、天幕)の「幕」が、古代より「劇場」とはさまざまな形で深い関係にあることは、いうまでもない。