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試論:「神殿の滅亡と理由」を140文字以内で

エルサレム神殿の完成後ソロモンは主から次の啓示を受けた。「もしあなたたちがわたしとわたしの戒めや掟に背を向けるならば、この神殿は滅亡して廃墟と化し、諸国の民はその廃墟の前で滅亡した理由を互いに論じ合い、かつて神殿を築いた民が自分たちの神である主に背いたからだと結論するであろう」。

(注)別エントリー「試論:『天使たちが神殿を去る』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6363

(注)別エントリー「あなた方は神と富に仕えることはできない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1699

(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1962

【追記】

エゼキエル7章は「地の四隅」の表現で「イスラエルの地」の滅亡すなわち、その象徴となる第一神殿の滅亡を預言した。黙示録7章も同様の表現を用い、数年後に迫った第二神殿の滅亡について啓示した。黙示録とは、一世紀後半のユダヤ人キリスト教徒に向け、神殿と都の滅亡への心の準備を促す書である。

(注)別エントリー「試論:『地の四隅』を140文字以内で」も参照のこと。
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主はマタイ5章18節で、全てのことが実現し天地が消え失せるまで律法の時代が続くことを仰せになった。ルカ21章22節では、エルサレム滅亡(20節)の日を「書かれていることが完全に実現する報復の日」と仰せになり、エルサレムと神殿の滅亡(紀元七〇年)で律法の時代が終わると宣言なさった。

「天地が消え去る」の「天」とは、神がお住まいになる場所と見なされたエルサレム神殿とりわけその聖所を指し、二ペトロ3章はその滅亡が近いことを説く。「地」はエゼキエル7章2節同様、イスラエルの地を指す。紀元七〇年にエルサレムと神殿は滅亡しユダヤ(イスラエル人の国家)も同じく消滅した。

二ペトロ3章10節は「主の日」において「天は激しい音を立てながら消え失せ、自然界の諸要素は熱に熔解し尽くす」と予告した。数年後の紀元七〇年、神が住まわれると見なされて、「天」と同一視されていたエルサレムの神殿は、都の滅亡の際ローマ帝国軍によって火を放たれ、大音響と共に焼け滅びた。

ルカ17章34節から35節で主は「一人は連れて行かれ、他の一人は残される」と繰り返されたが、では一体どこに「連れて行かれ」るのかを、ルカ21章24節では「捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる」と御説明された。これは大昔モーセがレビ記26章33節以下で預言していた話と同じである。

紀元七〇年のエルサレム滅亡時にローマ軍へ投降したユダヤ人のうち、使徒言行録22章のパウロのようにローマの市民権を持つ者はローマ法の保護下にあるため留め置かれたが、そうでない者は妻子とともに奴隷とされて売り飛ばされた。こうして、「一人は連れて行かれ、一人は残される」は現実となった。

(注)別エントリー「試論:旧約聖書の預言と成就の時を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:神の国の到来と『主の日』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5578

(注)別エントリー「戦争と飢餓:ある意味で実戦よりも残酷な」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4744

(注)別エントリー「ダニエル書9章の『七十週』預言」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/22