試論:「セリフのない重要人物」を140文字以内で

ルカ1章と2章で主イエスの少年時代までが記されるが重要な登場人物の中で主の養父だけ科白がない。何をするにもイエスとマリアに忠実を尽くし、必要のない場合は決して前には出て来ない。主イエスはそんな養父に「仕えた」(ルカ2章51節)。「人の子は仕えるために来た」(マタイ20章28節)。

(注)別エントリー「試論:『義人』ヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神が人となられた方法』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

古代イスラエルの民にとって神なる主は「わたしたちの父」(イザヤ63章16節)だった。救い主(8節)が実際にお生まれになり(9章5(6)節)、民にとって「永遠の父」であるその方は「みどりご(嬰児)」として来られた。救い主の「父」(ルカ2章33節)の役割を果たした男は義人と呼ばれた。

(注)別エントリー「試論:『神の養父』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「主イエス・キリストがインマヌエルである理由」も参照のこと。
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(注)別エントリー「聖書にはクリスマスの日付が載っていますか???」も参照のこと。
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