キリスト教の土台は、「隅の親石」とマタイ21章42節で表現される、主イエスその方であり、イエスが「言(ことば)」つまり「御自ら御言葉を直にお話しになる神」として世に来られた以上は、弟子たちが最優先で学ぶべきは四福音書中の御教えであり、それに従い聖書の他の箇所を解釈するべきである。
(注)別エントリー「試論;『隅の親石』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『言(ことば)』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『真理とは何か』への答えを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ14章6節の『道』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
主はマルコ12章10節で、「家を建てる者の捨てた石が隅の親石となった」と詩編118編22節を引用され、イザヤ28章16節の預言「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の貴い隅の親石。信じる者は慌てることがない」の、御自身における成就を御説明された。
(注)別エントリー「試論:『イエスは全人類の模範』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『わたしは道』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7818