主はマタイ4章4節で、「人はパンだけで生きる者ではなく、主の口から出る全ての言葉によって生きる者である」と申命記8章3節の言葉で、悪魔の誘惑に返された。ヨハネ1章1節は、御父の独り子である御子イエス・キリストを「神の御言葉」と呼ぶ。福音書の主の仰せを抜きにした信仰などありえない。
(注)別エントリー「試論:『わたしは命である』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
ヨハネ1章はイエスを「言(ことば)」と呼んだ。これは「御自分でお話しになる神」の意味で《天使や預言者を介してではなく直接人々にお話しになる神》主イエスを表す称号であり、直接お話しになった記録が福音書である。福音書を読まないことは主イエス・キリストを理解しようとしないことに等しい。
主はルカ13章23節で救われる者は少ないかと問われ、27節で不義を行う人々が神に拒まれると答えられた。確かに「合格者数」や「合格率」がどうしても気になってしまうのは仕方ないが、だからといって、合格と不合格を分ける判断の基準に目が行かなくては本末転倒で、基準は聖書に明記されている。
(注)別エントリー「試論:『滅びに通じる門は広い』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「悪意の放棄なしに永遠の命を得る道はない」も参照のこと。
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ルカ13章23節は救われる者は少ないかという主への質問を記す。主は27節で不義を行う人々は神に拒まれると答えられ、救われるか否かはあくまでも一人一人が主のおぼしめしに沿うか否かであり、救われる者の多い少ないよりそれ以前にまず神の義(マタイ6章33節)を求めて生きるよう勧められた。
(注)別エントリー「試論:『永遠の命』と『神の義』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神の義』と詩編を140文字以内で」も参照のこと。
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最後の晩餐の際に主は、御自分の《愛の掟》においては隣人愛の実践をもって御自分への愛の実践とみなすと宣言された(ヨハネ14章21節等)。最後の審判では各自の行いに応じて裁かれる(黙示録20章13節、マタイ25章45節)ため、神からの赦しを得るには隣人を赦す以外ない(同6章12節)。
黙示録20章12節以下には、マタイ25章31節以下と同様に、「最後の審判」に関する記述が登場するが、そこでは全ての死者たちが各自の行いに応じて裁かれることが書かれており、「行いを伴わないならば、信仰はそれだけでは死んだものです」というヤコブ2章17節の記述とは完全に一致している。
(注)別エントリー「試論:『最後の審判』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:行いを欠く信仰を140文字以内で」も参照のこと。
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イザヤ書の最後の二つの章では「呼んでも答えず、語りかけても聞かず、わたしの目に悪とされることを行い、わたしの喜ばないことを選んだ」という表現を繰り返す(65章12節、66章4節)。神はこの者たちを選ばれない(マタイ22章14節)。同7章13節で「滅びに通じる門」と主は表現された。
主はルカ13章24節で、「狭い戸口」から入るよう弟子たちに仰せになった。この「狭い戸口」とはマタイ7章13節の「狭い門」と同じ事柄で、詩編118編19節の「正義の門」を示唆している。ルカ13章27節で主は「不義を行う者」が「救われる者」(23節)から排除されることを仰せになった。
(注)別エントリー「試論:選ばれなかった人々の理由を140文字以内で」も参照のこと。
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