試論:「滅びに通じる門は広い」を140文字以内で

イザヤ書の最後の二つの章では「呼んでも答えず、語りかけても聞かず、わたしの目に悪とされることを行い、わたしの喜ばないことを選んだ」という表現を繰り返す(65章12節、66章4節)。神はこの者たちを選ばれない(マタイ22章14節)。同7章13節で「滅びに通じる門」と主は表現された。

(注)別エントリー「悪意の放棄なしに永遠の命を得る道はない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4884

【追記】

主はルカ13章24節で、「狭い戸口」から入るよう弟子たちに仰せになった。この「狭い戸口」とはマタイ7章13節の「狭い門」と同じ事柄で、詩編118編19節の「正義の門」を示唆している。ルカ13章27節で主は「不義を行う者」が「救われる者」(23節)から排除されることを仰せになった。

(注)別エントリー「試論:選ばれなかった人々の理由を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8074

(注)別エントリー「試論:『命に通じる狭い門』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7118

(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8008

(注)別エントリー「試論:『門をたたきなさい』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6220