試論:古代ユダヤの「第九の月」を140文字以内で

エズラ10章9節以下では、ユダとベニヤミンの男性たちが異邦人の娘たちとの結婚を祭司エズラに咎められ、エルサレム神殿の広場に座っていたと記す。季節はヘブライの暦の「第九の月の二十日」と冬であり恐れと雨で人々は震えていた。この時の雨量は大集会が雨天でも野外で決行可能な程度だと分かる。

(注)別エントリー「試論:『新生の祝日』と二つの暦を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12940

【追記】

福音書の本文で律法学者を表すギリシア語と、古代のギリシア語旧約聖書で書記官を表す語は同じで、ネヘミヤ6章で当時の預言者たち皆が周辺異民族に買収される不祥事が発覚後、改革を担った祭司エズラは、預言者としてではなく書記官の立場で民を導き、預言者たちが姿を消し律法学者の時代に移行した。

(注)別エントリー「試論:ネヘミヤ6章の『預言者』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:マラキから洗礼者までを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6696

(注)別エントリー「試論:ゼカリヤ13章を140文字以内で」も参照のこと。
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中世以降ユダヤ教はハガイ、ゼカリヤ、マラキを最後の預言者とした。その後のエズラ・ネヘミヤ時代にイスラエルが偶像崇拝と最終的に訣別した際、その時代の「預言者」たちが全くそこに貢献しなかったためである。とはいえマラキ書3章は第二のエリヤとなる預言者の到来を預言したはずではなかったか?

(注)別エントリー「試論:『まずエリヤが来るはず』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ユダヤ教と預言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5099