試論:「恵まれた方マリア」を140文字以内で

受胎告知の際マリアは「恵まれた方」と呼ばれたが、テトス2章11節以下は「全ての人に救いをもたらす神の恵みは、不信心と現世的欲望を捨てて思慮深く正しく信心深く生きるよう教え、また偉大な神であり救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むよう教えます」と神の恵みに関し説明する。

(注)別エントリー「試論:『マリアにならう』第一歩を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8748

【追記】

聖母は「わたしの主のお母さま」(ルカ1章43節)となられた方ながら、「わたしは主のはしため」(38節)と自称されたが、ペトロとヤコブは「神はへりくだる人に恵みをお与えになる」と書いた。「神の御独り子の母」となられた女性のへりくだりと恵み(ルカ1章28節)とは、いかばかりだろうか?

(注)別エントリー「試論:初代教会と箴言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5756

受胎告知の際マリアは「恵まれた方」(新共同訳)と呼ばれたが、「恵まれた」とは、

《〔神からの〕とめどもない好意を得た》

の意味で、古代ギリシア語訳箴言を参照すると比類のないこの《好意》は、彼女の「へりくだり」(箴言3章34節)と「善のみの追求」(同11章27節)に対する、恵みである。

(注)別エントリー「試論:無原罪の御宿りを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4629