試論:エレミヤ11章の「小羊」を140文字以内で

エレミヤ11章19節「わたしは、飼い馴らされた小羊が屠(ほふ)り場に引かれて行くように、何も知らなかった。彼らはわたしに対して、悪巧みをしていた」ヨハネ5章39節「聖書はわたしについて、あかしをするものだ」ルカ24章44節「わたしについて預言者の書にある事柄は必ず全て実現する」。

(注)別エントリー「試論:主イエスと旧約聖書の預言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7462

(注)別エントリー「試論:旧約聖書の預言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4783

【追記】

主の御受難を預言したイザヤ53章7節では、出エジプトの代価となった「小羊」(出エジプト記12章3節等)を想起させる一方で、「屠(ほふ)り場に引かれる」と表現してイサクの犠牲の身代わりとなった羊(創世記22章13節)をも想起させ、主の御受難が人々の身代わりであることを再認識させる。

(注)別エントリー「試論:贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7823

(注)別エントリー「試論:『メシア到来の目的』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7479

主はヨハネ14章27節で「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和をあなたがたに与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」と仰せになった。ではどうやって主は御自分の平和をお与えになったのか、パウロがコロサイ1章20節で「その十字架の血によって」と答えを記した。

ダニエル9章24節はメシアについて預言の時代を封印する存在だと預言し、主はルカ21章22節で、(紀元七〇年の)エルサレム滅亡で旧約聖書の全預言が成就し預言の時代が終わると仰せになった。故に紀元七〇年以降の国際情勢と旧約聖書の預言は無関係で、関係ありとする強弁は主の御言葉に反する。

(注)別エントリー「旧約聖書の預言書を研究する際の基本原則」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3859

旧約時代においては旧約聖書の読者ばかりでなくそれぞれの書の著者たちですら、何か重大なものが自分たちには欠けており将来それを満たして下さる方が到来されるであろうと感じていた。今、キリストの信者を自認する現代人が、福音書よりも旧約聖書の方を熱心に読んでいるなら本末転倒もはなはだしい。