イザヤ43章は、イスラエルの贖い主(=主イエス:キリスト)の到来と、その方が新しい事柄をもたらされる(19節)ことを預言するが、その芽生えは既に認められるとも語られ、「キリストの律法」が到来することと、「キリストの律法」の本質は既にモーセの律法の中に含まれていると啓示されている。
(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13665
【追記】
ヘブライ8章10節はエレミヤ31章33節の預言を引用し、神なる主が御自分の律法を人々の心に記されると、再確認する。マタイ7章12節「他人からしてもらいたいことを自分の方から他人にしなさい。これぞ律法」。キリストの律法は子供でも覚えられ理解もできるので「心に記す」と預言されている。
(注)別エントリー「試論:『心に記す』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14805
主イエスは旧約聖書の預言に関して、第一義的に御自分及び御自分の到来前後の歴史的諸事件への言及であり(ルカ24章27節、同44節、ヨハネ5章39節)、エルサレム滅亡(紀元七〇年)で預言は全て成就すると仰せになった(ルカ21章22節)。旧約聖書は21世紀の国際情勢とは全く関係がない。
ルカ21章22節において、主イエス・キリストは、エルサレムの滅亡をもって旧約聖書の預言が全て成就すると明言されており、それは紀元七〇年に現実のこととなった。従って、既に旧約聖書の預言が全て成就している以上、現代や近未来の世界情勢に関して旧約聖書の預言から考える行為は、不毛である。
(注)別エントリー「旧約聖書の預言書を研究する際の基本原則」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3859
主イエスはヨハネ5章39節で「あなた方は〔旧約〕聖書中に永遠の命が存在すると考え〔旧約〕聖書を研究するが〔旧約〕聖書はわたしに関してあかししている」と仰せになり、御自分と無関係の目的で〔旧約〕聖書を研究したとしても本当に重要な真理には全く到達することができないと、お教えになった。