試論:使徒言行録10章の預言者を140文字以内で

使徒言行録10章43節でペトロは、ナザレのイエスこそ預言された《罪の赦しを与えられる救い主》と説く。エレミヤ31章33節以下は「わたしの律法(《キリストの律法》)」を授けられる主が人々の悪を赦される(34節)と記すが、人々が悪にとどまることは容認されない(マタイ7章21節参照)。

(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

ヘブライ8章10節はエレミヤ31章33節の預言を引用し、神なる主が御自分の律法を人々の心に記されると、再確認する。マタイ7章12節「他人からしてもらいたいことを自分の方から他人にしなさい。これぞ律法」。キリストの律法は子供でも覚えられ理解もできるので「心に記す」と預言されている。

(注)別エントリー「試論:『心に記す』を140文字以内で」も参照のこと。
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ルカ6章46節「あなたたちはわたしを『主よ、主よ』と呼んでおきながら、なぜわたしが言っていることを、行わないのか?」ヨハネ8章51節「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことはない」ガラテヤ5章6節「キリスト・イエスに結びついているのなら、愛の実践を伴う信仰こそ重要です」。

(注)別エントリー「試論:『主よ主よと呼びながら』を140文字以内で」も参照のこと。
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マタイ7章21節「わたしに向かって、『主よ、主よ』という者が皆、天の国に入るのではなく、わたしの天の父の御心を行う者だけ入る」ヨハネ13章34節「わたしがあなたがたを愛したように、愛し合いなさい」ガラテヤ5章6節「キリスト・イエスに結ばれているなら、愛の実践を伴う信仰こそ大切」。

(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:新都エルサレムに住む条件を140文字以内で」も参照のこと。
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