試論:捕囚の人々が実際住んだ地を140文字以内で

「バビロン」に連行されたユダヤ人の圧倒的多数は首都のバビロンではなく、バビロンの近郊の諸地域に住んだと考えられる。捕囚から解放されたものの帰還せずバビロン近郊に住み続けたユダヤ人の存在と、その住んでいた場所とを、使徒言行録2章9節は「メソポタミア」というギリシア語で暗示している。

【追記】

旧約聖書の「バビロン捕囚」は有名だがカルデア人の首都バビロンはカルデア人でさえ、ある程度の特権階級でないと居住できず、まして捕囚のユダヤ人でバビロンに住んだのは元の王やダニエル書に登場する四人の少年のように、上流階級の中から選抜されカルデア流の礼儀作法に習熟した者くらいであった。

実際の地名として一世紀ユダヤの歴史家ヨセフスやユダヤの伝承文学は、ネアルダもしくはネハルデアという都市を挙げ、エルサレム神殿滅亡前まで、この地域全体に住むユダヤ人から集められた神殿への献金や神殿税は、いったんこの町に集められた上で厳重な警護を付けられてエルサレムに輸送されていた。

ローマ帝国によってエルサレム神殿が破壊された後ユダヤ人が集めていた「神殿税」の行き先を、滅亡したエルサレム神殿の替わりにローマのユピテル神殿とするようローマはユダヤ人に命じた。これに納得できなかった当時のユダヤ人のうち、ある人々はローマ支配の及ばないメソポタミアへの逃避を選んだ。