試論:「偽り者」の特徴を140文字以内で

ヨハネ14章の「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る」(23節)と「わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない」(24節)という主の御言葉に対応して一ヨハネ2章4節は「神を知っていると言いながら神の掟を守らない者」を「偽り者」と断定し、その者の内に真正なものはないとしている。

【追記】

ヨハネ14章15節で主は「わたしを愛しているのなら、わたしの掟を守りなさい」と仰せになり御自身が教えられた掟を守ることをもって御自身への愛を判断すると宣言された。従って、「私はあなたの掟を守れてはいませんが、主よ、あなたへの愛だけは誰にも負けません」という自己申告は、通用しない。

マタイ25章45節で主は「この小さな者の一人にしなかったことは、わたしにしなかったことである」と仰せになり、隣人愛の実行を神への愛の基準にすると宣言された。従って「私は周囲とはトラブルを起こしてばかりですが、主よ、あなたへの愛だけは誰にも負けません」という自己申告は、通用しない。

(注)別エントリー「試論:『最後の審判』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5427

(注)別エントリー「試論:黙示録20章の最後の審判を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5433

誰しも「自分は神への愛が足りないのではないか?」とか「自分は本当に神から愛されているのか?」という疑問が心をよぎることがある。しかし主はそのような疑問に対して、ヨハネ14章で「わたしの掟(『互いに愛し合いなさい』)」という表現を用いて21節でごく簡潔にしかし的確にお答えになった。

(注)別エントリー「試論:『新しい契約』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5517

主イエス・キリストは「山上の説教」で「わたしの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている」(マタイ7章26節)と仰せになり、また「聞いて行う者は岩の上に家を建てた賢い人に似ている」(24節)とも仰せになられ、行うことがない信仰生活のもろさを強調なさった。

(注)別エントリー「試論:マタイ25章の十人の乙女を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5994

マタイ7章21節〜27節で主は、「天の国」に入るための条件は「天の父の御心を行う」ことであり、たとえ預言や奇跡を行い悪霊も追い出すような人であっても不法を働くなら入れなくなると仰せになり、「わたしの言葉を聞くだけで行わない人は砂の上に家を建てた愚かな人のようだ」とも仰せになった。

(注)別エントリー「試論:『主よ、主よ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5380