主はマタイ6章33節で「まず神の国と神の義を求めよ」と仰せになった。古代のヘブライ人は神の義(正義)を実行する人となることを「正義を衣としてまとう(=身に着ける)」と比喩で表現した(詩編132編9節、ヨブ29章14節)。従ってマタイ22章の「礼服」とは正義(神の義)の比喩である。
【追記】
主はマタイ6章33節で「神の国と神の義を求めよ」と仰せになり、また同22章では神の国で神の御前に立つために不可欠な「神の義」を、「礼服」にたとえられた。この「礼服」すなわち「神の義」とは何であるかについて、パウロはコロサイ3章で、キリストの弟子が身に着けるべきものとして説明した。
(注)別エントリー「試論:『着る』べき『礼服』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6748
(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8008