主はルカ11章で「外側」「内側」という表現を用いられたが、同じ事柄をパウロは二コリント4章16節で「外なる人」「内なる人」と表現し、ガラテヤ5章では「肉」「霊」と表現して両者の違いを詳しく記す。ガラテヤ5章22節「霊の結ぶ実」は、ルカ11章41節「器の中にある物」を説明している。
(注)別エントリー「試論:『器の中にある物』?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8170
(注)別エントリー「試論:ルカ11章40節『内側』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6897
(注)別エントリー「試論:『土の器』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6902