試論:「イエス・キリストの掟」を140文字以内で

主イエス・キリストはモーセの律法の中の「最も重要な掟」の第一と第二とを統合され、「新しい掟」(ヨハネ13章34節)「わたしの掟」(14章15節)とされた。この掟は、隣人愛の実践をもって神への愛の実践と見なす(同節)。従って神なる主への信仰を証明するものは、隣人への愛の実行となる。

(注)別エントリー「試論:『神への愛』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5413

(注)別エントリー「試論:『わたしの掟』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6874

(注)別エントリー「試論:『すべてが要約された掟』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6861

【追記】

ローマ3章でパウロは、「信仰」「律法」という表現で実際には<イエス・キリストを信仰する人々にとっての新しい掟である愛の掟>と<イエスを認めぬ人々が律法とするモーセが与えた掟>とを比較した。人間を「義」とするのは、<律法の掟>の実行ではなく、信仰に基づく<愛の掟>の実行如何による。

(注)別エントリー「試論:『主よ、主よ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5380

最後の晩餐の際に主は、御自分の<愛の掟>においては隣人愛の実践をもって御自分への愛の実践とみなすと宣言された(ヨハネ14章21節等)。最後の審判では各自の行いに応じて裁かれる(黙示録20章13節、マタイ25章45節)ため、神からの赦しを得るには隣人を赦す以外ない(同6章12節)。