《御父である神、主》と《御子である神、主イエス》とは、詩編110編1節では御父は「主」、御子は「わが主」でありマタイ22章44節も御父は「主」、御子はダビデの言う「わたしの主」である。ルカ1章43節でエリサベトは詩編110編1節を踏まえ、マリアを「わたしの主のお母さま」と呼んだ。
(注)別エントリー「マリアを『神の母』と呼ぶ聖書的根拠」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4492
(注)別エントリー「試論:「神の母であること」を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6079
(注)別エントリー「試論:「救い主の母であること」を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7510