古代のヘブライ人は「肉」という言葉で、「人間(人間それ自体。人間の肉体の部分だけでなく、魂も含めた人間としての全体)」を表した。ヨハネ1章14節をこの観点で理解すれば、ニケア・コンスタンチノープル信条「おとめマリアよりからだを受け」の「からだ」は、人間としての全てを意味している。
(注)別エントリー「試論:『イエスとマリアの関係』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7725
(注)別エントリー「試論:聖書と『肉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7649
【追記】
古代のヘブライ人は「肉」を、「人間(人間それ自体。人間の肉体の部分だけではなく魂も含めた人間の全体。)」を表す言葉として用いていた。創世記6章12節「すべて肉なる者は堕落の道を歩んでいた」(新共同訳)。日本語訳の「肉なる者」に対応する語は、ヘブライ語本文ではただ単に「肉」である。
(注)別エントリー「試論:『肉と霊』の対比を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7740
主イエス・キリストは、人間たちに模範(ヨハネ13章34節)を示されるために、神であり続けながら(ヘブライ13章8節)人間の肉体と魂を担われた(ヨハネ1章14節)以上は、神として教えられた掟(申命記5章16節)を人間として自ら忠実に実践された(ルカ2章51節、マタイ20章28節)。