試論:「選ばれるかは当人次第」を140文字以内で

古代のヘブライ人は詩編18編21(20)節以下にある通り「神は優しい人間には優しく接し、厳しい人間には厳しく接する」とイメージしていた。出エジプト記34章でも主はモーセに対して御自分が優しさと厳しさを兼備していることを仰せになった。選ばれる人イコール選んだ人は当然の結論と言える。

(注)別エントリー「試論:『招かれる』『選ばれる』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8012

(注)別エントリー「試論:『笛は吹かれたけれども』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8056

(注)別エントリー「試論:『神は誰を選ばれるのか』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8051

(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8008

【追記】

マタイ22章14節の「選ばれる人」とは、神からの招きに忠実に応じて「神の掟を守り通す人」(黙示録12章17節)である。隣人に対して憐れみ深い人は自分も神の憐れみを受ける(マタイ5章7節)。一人一人が隣人に対して取るのと同じ態度を、神も一人一人に対して返される(ルカ6章38節等)。

主はマタイ7章26節で「わたしの言葉を聞くだけで行わない者は、砂の上に家を建てる人に似ている」と教えられた。22章14節「招かれる者は多いが選ばれる者は少ない」とは、「わたしの教えを耳にしたことのある者は多いが、それを真摯に受け止めて日々実践している者は少ない」という意味である。

(注)別エントリー「試論:『主イエスを見失うこと』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5954