御復活の朝、主を目の前にしてマグダラのマリアは、まず十人の使徒たちやトマスのように、手の釘の痕や脇腹の槍の痕を確認しようとしたはずである。主の「わたしに触れてはならない」は、「手や脇腹を見なくとも、あなたは少しの疑いの余地もなくわたしを認識できているでしょう?」の裏返しでもある。
(注)別エントリー「試論:『マグダラのマリア』素性を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9703
【追記】
主はヨハネ20章17節でマグダラのマリアに「触れてはならない」と仰せになった。この時、主が指先で、彼女の額に触れて制止された、という伝承がある。マルコ3章9節以下には、主に触れようとする群衆のあまりの勢いに小舟が用意される話があるが、彼女の勢いもまたそれに近かったのかも知れない。