マルコは、ベタニアで主の頭に高価な香油を注ぐ女性を記す。ヨハネも、ベタニアでラザロの姉妹マリアが主の足に高価な香油を塗ったと記す。主は彼女の行動を埋葬の準備と呼んだ。マルコ16章冒頭で主の御遺体に油を塗りに行く婦人たちの中に彼女もいたはずで、マグダラのマリアである蓋然性が大きい。
(注)別エントリー「試論:『触れてはならない』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9764
【追記】
マルコ16章9節はマグダラのマリアを「以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人」と呼ぶ。箴言6章16節は「主の憎まれるものが六つ、主の心からいとわれるものが七つ」として17節以下で七つの悪徳について列挙する。「七つの悪霊」とは、マリアが克服した七つの悪徳を指すと思われる。
(注)別エントリー「悪意の放棄なしに永遠の命を得る道はない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4884
一世紀にはギリシア語でタリケアと呼ばれていたガリラヤ湖畔の町をユダヤ人はヘブライ語でミグダル、アラム語でマグダラと呼んだと想定され、魚を保存用に加工する燻製工場で知られた。風紀の乱れた町としても悪名高く、歓楽地としての町全体または一部の歓楽街を呼ぶ際マグダラが悪名的に用いられた。