【問】使徒言行録6章の「ギリシア語を話すユダヤ人」とは?
【答】当時ユダヤ本土の人々はヘブライ語を話し、ガリラヤのユダヤ人も独特の「訛り」はあったものの、ヘブライ語を話しましたが、それ以外の地方で、かつてマケドニア人が支配していた領域に移民したユダヤ人はギリシア語を話していました。
【追記】
マケドニアの大征服者アレクサンドロス大王の死後、武将たちによる領土の分割の結果、ユダヤはキレネやキプロス同様エジプトが本拠のプトレマイオス王朝に百数十年支配された。ダニエル書はこの王朝を「南の王」と呼んだ。この王朝はユダヤ人のエジプト(キレネやキプロスも含む)への移民を奨励した。
(注)別エントリー「試論:『ユダヤ人とキレネ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15734
ペルシア王によってユダヤ人は捕囚から解放され帰還したが、ユダヤ人の自治に委ねられた領土はエルサレムとその近辺のみで、かつての独立王国と比較にならない小ささで周辺異民族から容易に干渉を受けやすく、さらにユダヤ人は「産めよ増やせよ」で人口増加が著しいため、「南の王」は移民を奨励した。
ペルシアによりバビロン捕囚から解放され帰還した人々は、都と神殿の再建を許されたが、自治を許された領域は広くなく「産めよ増やせよ」に従えばすぐ手狭となった。ユダヤを支配した国々が移民を奨励した結果、ローマ時代には「帝国の主要都市でユダヤ人のいない町はない」と言われるくらいであった。
バルナバとパウロは異邦人の宣教に旅立ったが、当時ローマ帝国の主要都市のほとんどにはユダヤ人の共同体と会堂が存在し、当然、彼らとも、遭遇した。使徒を迎えるユダヤ人の態度は三通りで【1】最初から好意で迎える【2】最初から敵意で迎える【3】好意と敵意との間を揺れ動く、というものだった。