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試論:「裏切り者の秘めた悪意」を140文字以内で

ルカ7章36節以下は「罪深い女」が主イエスのために香油を惜しげもなく注いだと記し、ヨハネ12章は酷似した出来事があったことを記す。ユダは自分の盗みを棚に上げてベタニアのマリアを非難した。ユダは自身が信仰を失っていたにも関わらず、他人を批判できる時には急に活気付いてマリアを責めた。

(注)別エントリー「試論:『正論を装った悪意』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11241

【追記】

レビ19章18節は隣人愛の掟を記すが、15節は貧者救済の理由であろうと判断を惑わされてはならないと説く。ヨハネ12章でイスカリオテのユダが貧者救済を理由にベタニアのマリアを攻撃した際、主イエスはユダの言葉が貧者救済を口実にした単なる言い掛かりに過ぎないと見抜かれ、女性を擁護した。

(注)別エントリー「試論:『人間を照らす光』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7227

二テモテ3章でパウロは「終わりの時」の人々の姿を記した。自分本位で金銭を愛し、嘘をつき、神を畏れず嘲り、両親に従わず、恩知らずで、他人を侮り、情け容赦なく、強情で、中傷し、節度がなく、残酷で、善を行わず、裏切り、軽率かつ高慢、信仰を装いつつ実際は快楽を愛し、事実上は棄教している。

(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199

エフェソ4章の後半以降(17節以下)では、洗礼を受けた人が取るべき(また避けるべき)態度を教える。悪態をつき、無慈悲で、平然と悪口を言い、思う通りにならないと大声で喚き、怒鳴り散らし、相手が幼子や女性だと小馬鹿にして勝ち誇る人がいたとして、誰が彼のことを信者だなどと思うだろうか?

(注)別エントリー「試論:『ねたみや利己心のある』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12116