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試論:「マリアの確信」を140文字以内で

ヨハネ2章のカナでの婚礼の際、3節の母の言葉に対し、主は4節でその真意を測りかねる答えをされた。しかし母は5節で、願いが聞き入れられたことを確信して召し使いたちに言葉をかけた。その理由は一ヨハネ5章14節以下に、「これが神に対するわたしたちの確信」という表現とともに記されている。

【追記】

詩編145編19節は「主を畏れる人々の願いはかなえられる」とし、箴言10章24節は「神に従う人の願いはかなえられる」と説く。マタイ7章7節は「求めなさい。そうすれば与えられる」と主の御言葉を教え、ヨハネ14章13節は「わたしの名によって願うことは何でもかなえてあげよう」とも記す。

ルカ18章で主は「やもめと裁判官」のたとえを話されたが、それは「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるため」(1節)で、「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる」また「これがわたしたちの神に対する確信」と一ヨハネ5章14節は教える。

救い主を預言する際ダビデとエリサベトは「わたしの主」と呼ぶ。救い主には人間として母親しか存在せず、マリアは救い主を「わたしの肉の肉」(創世記2章23節)と呼んで誇ることもできたが、しかし母から人々への伝言は、「万事この人の言う通りにしてください」(ヨハネ2章5節)まずこれである。

(注)別エントリー「試論:『わたしの主』と母マリアを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8575

ヨハネ1章14節は神の御独り子が恵みと真理に満ちて人間となられたことを記すが、ヤコブ4章6節と一ペトロ5章5節はともに「神は高慢な者を敵とし、へりくだる者に恵みをお与えになる」と強調し、ルカ1章は「わたしは主のはしため」とへりくだった女性こそが御独り子の母となったことを特筆する。

(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章14節とマリアを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7795

(注)別エントリー「試論:『イエスとマリアの関係』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7725

(注)別エントリー「試論:『まこと(=真理)の神』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8706