試論:「飼い葉桶」「ろばと牛」を140文字以内で

ルカ2章は聖母が幼子を飼い葉桶に寝かせたと記す。御降誕の洞穴には聖母を乗せて来たろば以外に牛も一頭いたと考えられる。イザヤ1章3節に「牛やろばも飼い主や飼い主の飼い葉桶を知っているのに、わが民イスラエルはわたしを知らず見分けようともしない」と、主の嘆きが預言されているからである。

(注)別エントリー「試論:聖書と洞穴を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:聖書と『ろば』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13192

(注)別エントリー「試論:『超自然的な御降誕』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「聖書にはクリスマスの日付が載っていますか???」も参照のこと。
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【追記】

ルカ24章のエマオでの御出現において主は、旧約聖書とは御自分について証しするものであり、実際その詳細について「全体」の説明を始めると、何時間あっても語り尽くせないことをお示しになった(27節)。主はユダヤの人々に対して以前にも同じ事柄をお話しになられていた(ヨハネ5章39節等)。

主イエスはヨハネ5章39節で「あなた方は〔旧約〕聖書中に永遠の命が存在すると考え〔旧約〕聖書を研究するが、〔旧約〕聖書はわたしに関してあかししている」と仰せになり、御自分とは無関係の目的で〔旧約〕聖書を研究しても、本当に重要な真理には全く到達することができないと、お教えになった。

(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『真理は街頭でよろめく』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:真理(まこと)の反対は?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『まこと(=真理)の神』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:聖書研究の目的を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8447