主はヤイロの娘の死に、「子供は死んだのではなく眠っているだけ」と仰せになり、人々から嘲笑された。主は子供の両親と三人の弟子だけを伴い、重々しい物言いではなく、病気がちの子供でも理解できる親しみやすい言葉を少女に掛けられた。真の神は、あえて人々に大見得を切る必要などないからである。
(注)別エントリー「試論:『ヤイロの娘の復活』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14135
【追記】
主はマルコ5章でヤイロの娘を生き返らせた後、食べ物を彼女に与えるように仰せになった。これは、後に御自身が御復活されて弟子たちの前に御出現になった際(ルカ24章)に、一切れの魚を持って来させ食べられたことと同じで、亡霊を見ているわけではないことを人々に理解させるための仰せであった。