主イエスはマルコ9章36節以下で十二使徒の真ん中に一人の子供を立たせ「わたしがあなたたちを選んだ理由は、個々の能力や人間性が優れているためでは決してないので、勘違いをしないように」と強く注意された。かつて主の御声に従わなかったサウル王は、当時まだ少年だったダビデに交替させられた。
(注)別エントリー「試論:『十二人』選抜された理由を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14565
【追記】
主から王に選ばれたサウルは、「特別に選ばれた人間は人一倍、主に忠実でなければならない」という初心を忘れ「主に選ばれた自分は特別扱いされているから、多少の過ちは大目に見てもらえるはず」と勘違いして主の信頼を失ったが、自分を律する心構えがないと誰しも同様の勘違いに陥り易いものである。
(注)別エントリー「試論:『主に聞き従うこと』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5685
主イエスがこのエピソードを通して十二使徒に教えたかった事柄とは、「あなたたちは、わたしに結ばれていなければ、所詮は何者でもない」ということだった。もしもキリストの弟子に選ばれていなければ、例えば約二千年前のガリラヤの漁師たちの名前に、現代人があやかって命名することなどありえない。
(注)別エントリー「試論:ぶどうの木と『実』の特徴を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9958