ヨハネ1章は主イエスを《人々に御言葉をお話しになる神》として言(ことば)と呼ぶ。エレミヤ23章16節も同様に救い主を「主の口」と呼び、彼と違うことを語る偽預言者たちの存在を預言した。主は敵に包囲されたら都を離れよと予告されたが、偽預言者たちは、神が介入されるので都に残れと説いた。
【追記】
ルカ21章20節以下で主は、「敵が都を包囲しようとする時は籠城すべきでなく都を離れよ」と警告された。約四十年後、ローマ軍が迫る都では「預言者」たちが、「神が都を救われるから都で待て」と説いたが、神の介入はなく都は滅亡した。この「預言者」たちの虚言を歴史家ヨセフスが書き残している。
(注)別エントリー「試論:黙示録18章を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:黙示録16章を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
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(注)別エントリー「あなた方は神と富に仕えることはできない」も参照のこと。
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ヨハネ1章はイエスを「言(ことば)」と呼んだ。これは「御自分でお話しになる神」の意味で《天使や預言者を介してではなく直接人々にお話しになる神》主イエスを表す称号であり、直接お話しになった記録が福音書である。福音書を読まないことは主イエス・キリストを理解しようとしないことに等しい。
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:反キリストの霊を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:聖書と私的啓示を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:預言解釈の基本を140文字以内で」も参照のこと。
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