【問】「安息日の癒し」は当時の規定に合致しますか?
【答】モーセの律法は「祭壇のパンは安息日ごとに供え替えよ」と命じます。この職務に関わる誰かの手が急に不自由になった場合それを癒すことは神の御旨に合致します。神はえこひいきを良しとされない方なので、他の人を癒すことも問題ありません。
【追記】
【問】主イエスが安息日に関して引用されたサムエル上21節のダビデの故事が、他ならぬ安息日の出来事だという根拠は、どこにありますか?
【答】その故事が「パンを供え替える日」の出来事だとサムエル上21章7節は記しますが、レビ24章8節は、安息日ごとにパンを供え替えることを命じています。
【問】なぜ主イエスは、麦の穂を摘んで直に口へ運ぶほど弟子たちが空腹なのに、「パンの奇跡」のようなことを行われなかったのですか?
【答】真理(まこと)の神である主は「えこひいき」を良しとされないからです(箴言24章23節、シラ35節15節、一テモテ5章21節、ルカ20章21節参照)。
主イエスはヨハネ5章で三十八年も病気で苦しんでいた人を安息日に癒された。ルカ13章15節以下「安息日だろうと皆、牛やろばを家畜小屋から連れ出して水を飲ませに行っている。この女性はアブラハムの娘でありながら十八年間もサタンに束縛されていた。安息日でも解放してやるべきではないのか」。
ヨハネ5章の通り、敵たちは安息日の掟を持ち出して主イエスを攻撃するのが常だった。安息日の掟は確かに十戒にも含まれるものの、マルコ12章28節以下の律法学者との問答で再確認された通り古代のイスラエルで最も重要な掟の第一は神への愛の掟、第二は隣人愛の掟であり安息日の掟より優先される。
(注)別エントリー「試論:『しるし』と敵意を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15357