聖パウロは二コリント6章16節で、エゼキエル37章27節を引用し、それはイエス・キリストにおいて既に実現したという理解を記す。ヨハネ1章14節の「〔神の〕御言葉は肉(=人間)となられ、わたしたちの間に宿られた」も同様の理解で、ヨハネ福音書では主御自身が随所でそれを仰せになられる。
【追記】
古代のヘブライ人には「家も体も自分にとっての住まい」と考え両者を同一視する観念があった。故にエゼキエル37章27節「わたしの住まいは彼らと共にある。わたしは彼らの神となり彼らはわたしの民となる」とヨハネ1章14節「神の御言葉は人となりわたしたちの間に住まわれた」は同じ事柄である。
モーセはレビ記26章で、イスラエル人が神に忠実であり続ける場合の幸福を説き、11節と12節では主が人々の間に住まわれ、人々の間を巡られると預言した。ヨハネ1章14節は、「神の御言葉」すなわち人々に直接語り掛けられる主イエス・キリストが、「肉」すなわち人間になられたことを説明する。
ヘブライ人は時に人間それ自体を「骨」と呼んだ(箴言14章30節等)。エゼキエル37章も、神の民としてのあるべき姿から道徳的に程遠い有様に成り果てた人々を「枯れた骨」と呼んだ。「わたしの住まいは彼らと共にある」は、「神の御言葉は人となりわたしたちの内に住まわれた」と同じ意味である。
【問】ヨハネ17章12節は「聖書が実現するため」と記しますが、一体何が実現したのですか?【答】エゼキエル37章27節「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの神となる」イザヤ66章8節「誰がこのようなことを見聞きしただろうか。一つの国が一日で生まれ、一つの民が一度に生まれようか」。