試論:「十分の一献金」なる虚構を140文字以内で

マタイ17章は「魚と銀貨」の話で、主イエスの時代の「神殿税」が一人当たり銀半シェケル(出エジプト記30章15節)であり銀貨一枚で二人分だったことを記す。「十分の一」は「献げ物」(マタイ23章23節)であって、それは「土地から取れる収穫」(レビ記27章30節)などの「物納」による。

(注)別エントリー「試論:『信仰義認』なる幻影を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10057

【追記】

旧新約聖書には、貨幣で納める「神殿税」そして「神殿への献金」という制度はもちろん存在するし、またそれとは別に、現物(貨幣以外)で納める「十分の一の献げ物」という制度も存在する。ただし、貨幣で「十分の一」を「献金」させる制度は聖書には存在しない。「十分の一」は、聖書では物納である。